【稀代の政治家 田中角栄(2)】
神楽坂の妾宅用に350坪の土地を購入、広い庭付の豪邸を建て毎月100万円を送った

福田 和也

まだ議員になる前の昭和21年秋、角栄は待合「松ヶ枝」のお座敷で円弥という芸妓と出会う。彼女の本名は辻和子といい、芸妓置屋「金満津」の養女であった。

お座敷での逢瀬を重ねるうちに2人はお互いに好意を抱くようになったが、その頃角栄には妻と、正法、眞紀子という子供がいた。

「一緒になろうか」という角栄の言葉に、和子は逡巡する。

「縁あって、好きあう仲になっても、おとうさんには奥さまがいらっしゃいますし、お子さんもいらっしゃいます。奥さまもとても好感の持てる方でしたから、あちらさまの家庭を壊すわけには絶対にいきません。わたしは芸妓ですから、そうなると、一生日陰の身でありつづけることを覚悟しなければなりません」(『熱情』辻和子)

結局、和子のほうの気持ちも強く、角栄は和子の旦那になる。角栄28歳、和子20歳のときであった。昭和26年には長男の京、32年には次男の祐が誕生し、2人とも角栄は田中の籍に入れた。2人の息子の間に眞佐という娘が生まれているが、1歳にも満たず亡くなっている。

自分の理想の実現のために金を使い、人を動かした

昭和35年、京9歳、祐3歳のときに、角栄は歌手で女優の神楽坂浮子が売りに出した神楽坂の邸宅を買い、和子と息子たちが住む家にしたが、5年後にはすぐ近くに350坪もの土地を手に入れ、新居を建てた。1階に7つ、2階に5つの部屋があり、大きな門と築山のある広い庭を備えた家だった。

昭和60年、脳梗塞で倒れるまで、角栄は和子に月100万円の仕送りを続けた。