【独占インタビュー】
瀬戸内寂聴「93歳の私が国会まで行って、伝えたかった思い」

戦争を知る私から、戦争を知らない日本人へ
週刊現代 プロフィール

国会前に行ってみて、もう一つよかったと思ったのは、集まった人の中に10代とか20代の、若い人たちの顔が見えたことです。もし日本が戦争できる国になったとしたら、実際に戦地に行くことになるのは、若い人たちです。政治や社会への関心が薄れているとは言っても、それを感じ取って、このままではいけないと動き出した若い人たちがいるんですね。

言うべきことを言い続ける

いまの状況は、私が東京女子大の学生だった昭和17(1942)年頃とよく似ていますよ。

誰に言われるともなく、贅沢はいけないという雰囲気が広がり始めていた。着物に長い袖があるのは贅沢だからと袖を切るなんてことが行われて、私はアホじゃないかと思ったけれども、一方で進歩的な学者の家の子が、「この戦争は負ける、勝てるはずがないとお父さんが言っていた」などと言うと、『何という非国民だろう』と呆れていた。同年のミッドウェー海戦なんて、本当は大負けしていたのに、大本営発表を信じて、万歳と旗を振って提灯行列に参加したりしていましたからね。

私は結婚して北京に渡ったので直接には見ていませんが、昭和18年9月には、大学生を半年早く卒業させる繰り上げ卒業が行われて、優秀な大学生が鉄砲を持たされ、雨の神宮外苑を行進させられて、学徒出陣の壮行会に駆り出されたんです。彼らの多くは戦地に送られて、生きて帰っては来なかった。骨さえも戻って来ずに、遺族のもとには白木の箱に砂だけが入って帰って来たとか、箱に入れるものもなくて、ミカンの皮が入っていたという家もありました。

でも結局、戦争がこれほど悲惨なものだったということは、あの時代を生きた私でも、戦後になって知ったことが多いんです。戦時中は、政府に都合の悪いことは国民には何も知らされませんでしたから。

いまのマスコミは、あまり政権のやり方を批判してはいけないとか、世間の人たちに反感を持たれてはいけないと忖度しているようですね。けれども、それはとても恐ろしいことだと思います。伝えるべきことは堂々と伝えていかなければ、世の中がおかしくなります。

安倍首相夫人(昭恵さん)も面白い人で、「家庭内野党」などと言って、夫の政策に反対のことを言ったりしているようだけれども、いまこそ亭主によく言って聞かせるときでしょう。仲良く手をつないで政府専用機のタラップに立っている場合ではないですよ。

私は、もう余命の続くかぎり、前の戦争で何があったかを語り、すべての戦争は間違っているということを伝えていきたいと思っています。

「週刊現代」2015年7月11日号より


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