【独占インタビュー】
瀬戸内寂聴「93歳の私が国会まで行って、伝えたかった思い」

戦争を知る私から、戦争を知らない日本人へ
週刊現代 プロフィール

それにしても、国民の声、民意というものを、これほどまでに無視する政権は、いままでにありませんでした。

たとえば、沖縄のことだって、ひどい扱いでしょう。6月23日に安倍首相が沖縄の追悼式に参加して演説したけれども、沖縄の人からはまったく拍手が起こらなかった。

あそこで首相が言ったことは、要するに、何だかんだ言われても辺野古移設が一番だ、従来通り推し進めるということだけですよ。あれだけ沖縄の人が反対して、知事にも反対派の人が当選をしたけれども、その翁長(雄志)知事と会っても自分の意見を言うだけで、対話が成立しないのね。

自分と違う意見は、無視して聞かない。形の上では聞いていても、実際には会話が成立していない。安保法制についても、国会に呼ばれた参考人である憲法学者3人が違憲だと言い、元内閣法制局長官が二人出てきておかしいと言ったけれども、「いや、そんなことはない」と取り合わない。

国会に呼んだ参考人であり、専門家であることに疑いのない人たちの意見さえ、あっさり「間違っている」などと言うのは、やはり異様です。

私は'91年に湾岸戦争下のイラクに医薬品を届けに行きました。当時、日本でなされていた報道は「多国籍軍によると」というものばかりで、かつての大本営発表の記憶がある私には、『市民の状況はもっと悪いのに、伝えられていないのではないか』と思えてならなかった。それで自分の足で現地に入りました。

案の定、現地では多くの海外メディアがホテルの部屋に缶詰にされていて、多国籍軍の発表を聞いているばかりだった。

一方、攻撃を受けたバグダッドの街を私たちが歩いてみると、一見、美しい街並みは保たれているのだけれども、水道局や発電設備がピンポイントで爆撃されて、街が機能していない。

病院では水もなく、エレベーターも動かず、保育器も稼働しないまま、救える命が失われていった。川岸の貧民街が破壊しつくされて、全身をケガした人が激痛でベッドに寝ることもできず、ハンモックで吊られている。そういうことが見えてきました。

「外国人が何をしているか」と兵士に誰何されて、検問所にもたびたび連れて行かれました。通訳のアラビア語がなかなか通じなくて、私はこのまま殺されるかと思いました。

それで私が、かぶっていた帽子をパッととったら、兵士たちがギョッとしたのね。「一体、お前は男か女か、子供か大人か」と。「私は日本の尼さんだ」と伝えると、兵士は真顔で「日本の仏教は何というひどいことをするのだ。女の髪を剃るなんて。すぐイスラム教に改宗しろ」と言う。

そんな会話をしているうち、次第に相手の態度も人間味を帯びてきて、最後には事なきを得ました。戦地であっても、心で思ったことを素直に伝え合えば、人間は合意したり、妥協したりすることができるのです。私はこのつるつる頭という奥の手も度々使いましたけどね(笑)。