【F1の帝王・フェラーリ(2)】人生を賭けた車造りで、経済危機やテロにうち沈むイタリア国民を元気づけた

福田 和也

エンツォには2つの家があった。
1つは妻のラウラと息子のディーノが住むモデナの家。もう1つは愛人のリナ・ラルディと息子のピエロが住むキャステルヴェトロの家であった。

ディーノはエンツォの跡継ぎと目されていて、V6エンジンをデザインするなど会社に貢献していた。しかし、生まれつき病弱だったこともあり、1956年6月、24歳の若さで逝ってしまった。
死因は、白血病、多発性硬化症、肝炎、筋ジストロフィーなどの病名が上がっているが、いまだにはっきりしたことは分かっていない。

ディーノの死後、エンツォは会社のすぐ近くに四階建てのロマネスク様式の邸宅を買った。カバルディ広場に面した、モデナ最大級の家だった。
息子の思い出が残る家に住んでいるのが辛かったのかもしれない。
家から一ブロック離れたグランド・ホテルがエンツォの取り巻き、「ピエラ・クラブ」の溜り場になり、乱痴気騒ぎが繰り広げられた。

「ある生意気なアルゼンチンの男がひとりの女性をくどいて二階の部屋にひっぱり込んだ時、エンツォ・フェラーリたちは敷居ごしに火のついた新聞紙を投げ入れたりした。もちろんシーツだけを巻き付けた一夜の恋人たちがドアから飛び出してくるのを見て大笑いするためである」(同前出書)

アドリア海のヴィセルマに別荘も持ったが、こちらはもっぱら妻のラウラが滞在するようになった。いつの頃からかは分からないが、ラウラは精神を病んでいたという。