少年Aのベストセラー『絶歌』 どう読むのが正しいのか

青木理×香山リカ×中島正純
週刊現代 プロフィール

青木 理由はさまざまあると思いますが、ひとつには元少年が社会復帰していること、もうひとつは匿名のままだということでしょう。

中島 「元少年A」については、世の中の人はずっと「こいつはどんなヤツなんだ?どんな面をしているんだ?」と知りたかったのに、少年法の壁に守られて、顔はおろか名前さえ知ることができませんでしたからね。

青木 そうした表層的な憤懣が今回、「元少年A」名義での手記出版で噴出した感があります。

香山 実名で出していたら、状況は違ったんでしょうか? 私は今回、この手記を読んだり、その内容について議論したりすることさえ批判されるような風潮に異様なものを感じています。

青木 まったく同感です。その上で僕はこう考えています。本を出すこと自体、悪いことではない。「被害者遺族が傷つく」という声もあるようですが、出版や報道を含む表現活動は、しばしば誰かを傷つけてしまう。だからやめろ、などという論理がまかり通れば、民主主義社会の柱である表現、言論の幅は恐ろしく狭まりかねません。

中島 ただやはり、元警察官として言わせてもらえば、被害者の遺族に事前に了承を得なかったことが、「反省していない」「身勝手な自己救済」という印象を強めましたね。

青木 遺族が憤るのは当然です。たしかに遺族へ連絡しなかったのはおかしい。ですが、だからといって第三者の大衆が被害者遺族に憑依して「こんな本を出すべきではない」と叫んだり、書店が「販売しない」という態度を取るのはマズい。

その内容自体がさまざまな批判や批評にさらされるのは当然ですが、出版という表現行為そのものを批判したり制限したりするのは問題です。

むしろ今回のことで引っかかるのは、やはり「元少年A」という著者名。匿名のままの手記、そこに彼の覚悟の中途半端さを感じてしまうんです。

香山 中途半端さ?

青木 少年法がメディアの実名報道を規制していることへはさまざまな意見がありますが、僕は少年法の精神は尊重したい。だから死刑問題を取材して本を書いたときにも、元少年のことは匿名で書きました。

しかし、この「元少年A」は、手記を出版した瞬間、「社会復帰を目指す元少年」から、「表現者」に転じた。表現者なら、その表現に責任を負わなければならない。匿名のままでは、ツイッターの落書きと変わりません。

批判される覚悟はあったか

香山 出版元の太田出版は、「深刻な少年犯罪を考える上で大きな社会的意味がある」と説明していますが、だったらもっと違う方法があったのではと思うんです。