【帝国ホテルの創設者 大倉喜八郎】閉口するほど広大な屋敷を手に入れ、7000坪の丘に別荘を13棟も建てた

世界大富豪列伝「蕩尽の快楽」(その二)
福田 和也

日清・日露戦争では、軍夫の供給、諸材料の調達、急設工事などを請け負い、巨利を手にした。
やがて庶民は「戦争ぶとり」していく喜八郎を目の敵にするようになり、「石ころ缶詰」などという噂が流れ始める。
戦地の皇軍兵士に石ころ入りの缶詰を送りつけ、濡れ手で粟の大儲けをしたというのだ。
事実は輸送の途中でコソ泥が缶詰を盗み、空いたところに石を詰めたものが現地に届いてしまったのだが、この話は縁日の講談にもなって広まった。
ひどい中傷だが、喜八郎の普段の態度にも責任があったといえよう。

生活はいよいよ贅沢になり、自分ばかりでなく夫人や子供にも散財をさせ、それを世間にひけらかしていた。
豪奢な生活で世間の耳目を驚かすことが、自分の成功の証と考えていたようだ。

「彼は庶民を軽蔑していた。彼にいわせれば、庶民の貧乏の原因は単純明快である。怠け者だから貧乏しているのだ、ということになるのである」(「大倉喜八郎の生き方」大倉雄二)

そんな喜八郎の中にもまだ、苦労時代の経済意識が残っていたようだ。結婚して本邸の別棟に住む息子が購読している新聞が自分のとダブっているのが無駄だと言い、購読をやめさせている。

『週刊現代』2015年6月20日号より


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