【オードリー・ヘプバーン】50歳を過ぎて平安が訪れた―財産のすべては慈善活動に捧げた

福田和也・世界大富豪列伝「蕩尽の快楽」第124回 オードリー・ヘプバーン(その三)
福田 和也

アメリカ軍の「ソマリア派遣」女優は大統領を動かした

ウォルダースもオードリーに好意を持ったが、彼女が男性を愛する気持ちを取り戻すのには時間を要した。
ウォルダースは忍耐強いアプローチで少しずつオードリーの心を開いていった。

1982年にアンドレアとの離婚が成立したが、その前の年から、オードリーはウォルダースとトロシュナの家で暮らし始めていた。
2人は庭を散歩したり、本を読んだりして静かに過ごした。オードリーにようやく訪れた平穏の時だった。

しかし、2人はあえて結婚という形を選ばなかった。理由を問うマスコミにウォルダースは答えた。

「彼女とメルの結婚が不幸だったことは、そしてアンドレアとの結婚がさらに不幸だったことはだれでも知っている。その質問はたった今電気椅子から逃げだしてきたばかりの人間に、もう1度そこへ戻れというに等しい」(『オードリー・ヘップバーン物語』バリー・パリス)

ウォルダースの協力のもと、オードリーはユニセフ親善大使の仕事を始めた。
彼女の名声はユニセフ募金運動の大きな推進力になった。彼女がイベントやテレビ番組でアピールする度に多額の寄付が集まった。

4年にわたる親善大使の仕事で、8回の視察旅行に行った。
中でもソマリアの悲惨さにオードリーは打ちのめされた。彼女の必死の訴えかけによって世界中のメディアがこの国に注目するようになり、ブッシュ大統領は異例の措置としてアメリカ軍をソマリアに派遣した。
『ローマの休日』で世界を魅了した女優は今や、大統領や国をも動かす存在となったのだ。

ソマリアから帰国した2ヵ月後の1992年11月、オードリーは結腸癌と診断された。手術をしたもののすでに転移が始まっていた。
翌年の1月20日、スイスのトロシュナの家で、ウォルダースと2人の息子に見守られ、63歳でオードリーは逝った。
オードリーはそれまで築き上げてきたものの全てをユニセフの活動に放出した。
クローゼットを埋め尽くしていたドレスは最後には10着になっていた。他はみなチャリティーで売ってしまったのだ。

彼女が死んだ日、世界中のティファニーの店はウィンドウに彼女の写真を飾り、その死を悼んだという。

『週刊現代』2015年6月1日号より

 


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