二宮寿朗「マリノスタウン、勇気ある撤退とするために」

二宮 寿朗

新たな「マリノスタウン」を

 クラブライセンス制度がある以上、事情は理解できる。
 しかし、あれだけの施設を放棄してしまうのは、やはり寂しい。貸主の横浜市を含め、継続に向けた対処法が何かなかったのか、とも思う。

 クラブのシンボルを失う影響は少なからずあるに違いない。移転先の状況は明らかになっていないものの、当然ながらマリノスタウンに比べればトップチームの設備や機能は低下するものと思われる。トップチーム、事務所機能、下部組織がそれぞれ別々に置かれる可能性もある。

 しかしながらマリノスタウンを失っても、理念までは失ってほしくない。

 横浜F・マリノスの前身、日産自動車サッカー部は革新的だった。まだサッカー人気が高くなかった1980年代前半、獅子ヶ谷(横浜市)にあったサッカー部のクラブハウスはトレーニングルームなど最新の設備がそろえられていた。加茂周監督がハード面を整備し、個別のセパレート式ロッカーも当時は珍しかったという。FKの名手、木村和司にはFK用のダミー人形などない時代に、鉄骨を組み立てた監督特注の“壁”が用意された。大浴場もあって、選手にとっても自慢の施設だった。

 弱小ながら最先端を行こうとしたチームに水沼貴史、柱谷幸一ら有能なタレントが続々と入部し、その後の黄金期を築き上げたのは言うまでもない。革新的なクラブの姿勢が人を呼び、チームを強くし、そしてファンを呼び込んだ。その理念、信念こそが日産サッカー部を強豪に仕立て上げた。

 筆者はマリノスタウンが誕生した際、日産サッカー部から受け継がれる革新的な姿勢がこれをつくらせたようにも感じた。今は自立のための一時的な撤退だとしても、近い将来、すべてをひとつに集めた身の丈に合う「マリノスタウン」の設立を目指してほしいものだ。

 勇気ある撤退とするためには、何よりこれからが大事になる。