二宮清純レポート「監督の甥っ子」から「真のエース」へ 菅野智之 25歳巨人投手 遠回りしたから、今がある(上)

週刊現代 プロフィール

「赤川(克紀)の外寄りのツーシームを打った時、バットの先っぽに当たってしまった。その時はちょっと痛いな、しびれているな、という程度だったんですけど、次の日、起きたら、すごく中指が腫れていて、これは大変なことになったと……」

この3日後、甲子園でのオールスターゲームに菅野は登板した。これが災いした。

「投げている最中に〝あれっ、おかしいな〟と違和感を覚えました。その後も我慢して2試合投げたんですけど、やっぱりダメでしたね」

診断の結果は右手中指腱の炎症。指をかばって投げているうちにヒジまでおかしくなってしまった。1度は復帰したものの、この故障の影響で菅野はポストシーズンゲームを棒に振った。

プロ入りは当然の選択だった

エースを欠いた巨人はクライマックスシリーズで、シーズン2位の阪神にまさかの4連敗。3連覇を果たしながら、日本シリーズ出場を逃した。

菅野の悔しさは察して余りある。

「阪神との試合は、ずっと家で見ていました。負けていく姿は、今でも鮮明に覚えています。

その頃、僕は日本シリーズに向けてリハビリをしていました。順調に回復すれば、第3戦あたりで投げる予定でした。結局、それも叶わなかった。だからMVPを獲ったといっても、後悔のほうが強い。チームに、もっとできることがあったんじゃないかと……」

菅野は球界きってのサラブレッドである。昨年、他界した祖父・原貢はアマチュア球界を代表する名将。1965年夏には三池工高、'70年夏には東海大相模で甲子園優勝を果たした。東海大の監督としても首都大学リーグ7連覇を達成している。

貢の長男で巨人監督の辰徳は菅野の伯父にあたる。辰徳は延べ12年にわたって巨人の指揮を執り、昨季まで7度のリーグ優勝と3度の日本一を成し遂げている。

野球一家で育った菅野の前には、当然のごとくプロ行きのレールが敷かれていた。

ひとつ疑問に思うことがある。伯父に憧れたのなら、なぜサードではなかったのか。

「祖父に〝オマエは野手じゃ芽が出ない〟と言われてしまったんです。あれは、僕が小学3年の頃。走っている姿を見て、〝この子はヒザが上がっていないから、足は速くならない〟と思ったというんです。

まぁ、それまでもピッチャーをやっていたので、〝だったら、このままピッチャーで育てようか〟と。僕はバッティングも好きだったんですけど、祖父はピッチャー向きだと思ったみたいです」

貢の家には庭があり、プレートを埋めてマウンドをつくった。キャッチャーは貢だ。