【オードリー・ヘプバーン】かわいらしさ、無邪気さ、勇敢さ―。女優の才能を培った「両親の諍い」

福田和也・世界大富豪列伝「蕩尽の快楽」第124回 オードリー・ヘプバーン(その一)
福田 和也

「彼女は迷わず突進した。思いきって飛び込んだんだよ」

ヘプバーン(1929~1993) ハリウッド黄金時代に活躍。バレリーナから女優に転身し、映画『ローマの休日』('53年)の主役を務めて爆発的人気を得る

戦争が始まった。オードリーは母親、兄とともにオランダのアルンヘムに住んでいた。1940年、ヒトラーはオランダ攻撃のために大量の軍勢を送り込んできた。
さらに、ドイツの軍事基地や刑務所の調理や掃除をさせるために、アルンヘムの女たちを駆りあつめ始めた。
オードリーもあやうく連行されそうになったが、兵士のすきをついて逃れた。
戦争は連合国軍が優勢となり、1945年5月5日にオランダはナチス・ドイツから解放された。

戦後間もなく、オードリーはバレリーナになって生活を立てるため、母親と2人でロンドンに移住することを決意する。

生きていくには、自分の技能と才覚で金を稼がなくてはならないと思ったのだ。
船でロンドンに着いたとき、2人の所持金はたった10ドルだった。

『ローマの休日』はオードリーに大きな名声をもたらした。
1954年のアカデミー主演女優賞を受賞したのだ。
これは天から降ってきた幸運ではない。自らの手で勝ち取った栄誉だった。

共演したグレゴリー・ペックがオードリーについてこう語っている。

「・・・・・・彼女は勇敢な人だった。経験もないのに、プリンセス・アンのような大役を演じるなんて、ものすごく勇気のいることだった。しかし彼女は迷わず突進した。不安もあったと思うが、それに負けてひるんだりすることはなかった。思いきって飛び込んだんだよ!」(『オードリー・ヘプバーン』ダイアナ・メイチック)

3月25日のアカデミー賞授賞式の日、オードリーはロールス・ロイスに乗って、会場に到着した。
この日のために用意されたのは、ジバンシィがデザインした白いレースのイブニングドレスだった。

夜は、プラザホテルのペルシャン・ルームで、恋人で俳優のメル・ファーラーと祝杯を上げた。
戦時中、チューリップの球根と雨水で飢えを凌いだ少女が想像だにしなかった世界が目の前に開けていた。

『週刊現代』2015年5月23日号より


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