【沿線革命042】 経営危機の湘南モノレールをドル箱路線に

阿部等(交通コンサルタント)

損益計算書を見ると健全経営

営業収益は、最近5年間、鉄道事業16億円前後、付帯事業2億円前後、併せて19億円弱で推移している。

2013(平成25)年度の損益計算書(http://www.shonan-monorail.co.jp/publics/download/?file=/files/content_type/type019/21/201406251553111077.pdf)によると、鉄道事業の営業収益16.7億円、営業費16.4億円、営業利益0.3億円と黒字経営となっている。

近年建設された各所のモノレールの多くが、初期投資に対する減価償却と金利負担が重く、多額の赤字なのと比べ、極めて健全経営である。

「設備が老朽化し、多額の費用がかかる大規模な補修が課題」とは、補修費を試算したら想定を大幅に上回り、減価償却費として計上している平年度の4億円程度では大幅に不足していることが判明したのかも知れない。

報道のみでは、設備の老朽化の内容や多額の費用の金額は不明だが、単線かつ6.6kmという短い延長であり、仮に補修費が10億円/kmとして66億円、営業収益の3.5年分程度である。各所のモノレールが負っている負債と比べれば莫大ではない。

営業収益を20%増額できれば3.5÷20%=17.5年で回収できる。地域にとっては廃線となっては絶対に困るので、補修費がもっと多額である場合等は、その一部に税金を投ずることも考えられる。

湘南モノレールのルートは元は有料道路の上空

湘南モノレールのほとんどの区間は、かつての京浜急行有料道路6.8kmの上空に建設された。

大正末期から昭和初期、江ノ島電気鉄道の経営に関わっていた菅原通済は、大船-片瀬の鉄道計画の沿線にあたる深沢村の山林を鎌倉山別荘地として開発した。そして、交通不便を解消するため、自動車専用道路を開通させ、1930(昭和5)年より乗合自動車を運行した。

戦中・戦後の混乱や、民鉄各社の合併や独立を経て、京浜急行電鉄が受け継ぎ、1950(昭和25)年に路線バスを運行再開するとともに有料道路を営業開始した。

高度経済成長期、深沢・西鎌倉・片瀬山などの大規模宅地開発が進み、また三菱電機鎌倉製作所や国鉄大船工場といった大規模工場が立地した。

湘南モノレールは、1970(昭和45)年3月に大船-西鎌倉、71(昭和46)年7月に西鎌倉-湘南江の島が開業した。

一方、京浜急行有料道路は、1984(昭和59)年7月に鎌倉市内5.7km、89(平成元)年3月に藤沢市内1.1kmがそれぞれ市へ譲渡され、有料道路としての使命を終えた。その後しばらく、地域外の自動車をだまして通行料を徴収する不届き者がいたとの話もある。(以上、参考ウィキペディア)