魚住りえ 第2回
「ピアノの道は諦めてしまったのですが、今度は自分が楽器になれば愉しいんじゃないかと思ったんです」

島地 勝彦 プロフィール

シマジ 「志村正順インタビュー」を200字詰の原稿用紙40枚分、一気に書き下ろして渡したはいいが、そのときのセオの上司が「これはちょっと古すぎる」ということで原稿がボツになってしまったんですよ。おれにとっては憧れの志村さんへのオマージュですから、大ショックでした。

 結局『WiLL』の花田編集長のところに持ち込んで、タダでもいいから載せてもらえないかと頼んだんですよ。それでどうにか志村さんがご存命中に活字にすることができたので、ホッと胸をなでおろした次第です。

魚住 志村正順さんですか。そんなに偉い方だとは存じ上げませんでした。

シマジ おそらくNHKのアーカイブで探せば志村さんの名調子が今でも聴けるはずです。魚住さん、お願いします。是非聴いてみてください。タッチャンやわたしの時代の圧倒的なヒーローだったんですよ。

魚住 はい、必ず聴いてみます。

立木 どうも今日は話が逸れるね。話題をお嬢に戻そう。

ヒノ いつものことですよ。でも、しばらく放っておけばそのうちちゃんと本筋に戻ってくるはずです。

シマジ 魚住さんも志村さんのような、後世まで人々のこころに残るアナウンサーを目指してくださいね。ところで、魚住さんは高校生のころからアナウンサーを目指していたわけですよね。何かきっかけがあったのですか?

ヒノ 立木先生、さっそく戻ってきました。

立木 まあな。ともかく今日はおれが長居出来ないから、シマジ1人にするのが心配なんだ。

ヒノ 「なによりも尊いものは友情である」というシマジ語録はこういうところから生まれたみたいですね。

魚住 少女のころから猛練習していたピアノの道は諦めてしまったのですが、今度は自分が楽器になれば愉しいんじゃないかと思ったんです。それで、歌を歌うとか、声優になるとか、声を使ってなにかを表現するプロになりたいと考えまして、アナウンサーも選択肢の一つかな、という感じでした。

シマジ それで、慶応にはストレートで入ったんですか?

魚住 いえ、ちゃんと一浪しました。広島駅前の河合塾にお世話になりました。