2011.05.11(Wed)

今こそ考える!なぜ日本は食料輸入大国になったのか Vol.3

生きるためにいちばん大切な「食」の話

筆者プロフィール&コラム概要

 そして肉の消費が増えることで、主食であるコメの消費が減少していく。

 コメの消費量が最高だったのは一九六三年の一三四一万トン。この年、日本人は一人あたり年間一一七キログラム、一日あたりだと三二〇グラム(ご飯茶碗三杯分)のコメを食べていた。

 だけど以後、一度として前年を上回ることなく消費は下落し続け、二〇〇七年は九二六万トン。一人あたり年間六一キログラム、一日あたり一六七グラム(ご飯茶碗一・五杯分)と約半分にまで減少しているんだ。

 消費が減ってくれば、当然コメはだぶついてくるよね。一九六七年になるとコメの余剰問題が発生。供給量一四四五万トンに対して需要量が一二四八万トンと、約二〇〇万トンも下回ったんだ。

 大量のコメが余るという、終戦直後には想像もできなかった事態に対して政府は、一九七〇年から「減反」を実施。価格を下支えするために、コメ農家に減産するよう命令を出した。

 小麦や大豆などの農作物の生産に鞍替えする農家もいたけれど、もともと水田だった土地に他の農作物を栽培するのは難しかったり、コメに比べて生産に労力がかかって割に合わなかったりしたため、耕作自体をやめてしまう人も多かった。

 減反はコメの消費減に合わせて年々強化されたから、水田の面積はどんどん減少し、コメの生産力は低下していったんだ。

食生活はどんどん便利になったけれど・・・

 そして、日本の食料自給率をさらに押し下げる変化が一九七〇年代に起こる。

 それはファミリーレストランやファーストフードなどの外食産業や、スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどの小売業の登場・発達だ(前述した食生活の変化の[第四段階]にあたる)。

 それ以前は家庭のなかで行われていた調理や食事を家庭の外にゆだねる「食の外部化」が、一九七〇年代から大きく進展していったんだ。

 たとえば、ファミリーレストラン・すかいらーくの一号店が東京都府中市に登場したのが一九七〇年。

この連載記事のバックナンバー
トップページへ戻る

経済の死角

週刊現代、FRIDAYが特集した経済、企業に関する話題記事を厳選公開。