第8回ゲスト:中谷巌さん (前編)
「ピケティが叩かれるのは、強力な富の再分配なしに資本主義が永続できないことを指摘したからです」

島地 勝彦 プロフィール

アダム・スミスの「神の見えざる手」は存在するか?

島地 以前、中谷先生からアダム・スミスが『国富論』で書いた「神の見えざる手」についてうかがいましたが、ピケティは「神の見えざる手」などは存在せず、資本主義によって貧富の差はどんどん広がっていると書いています。

中谷 ちょっと背景を整理しましょう。アダム・スミスが『国富論』を書いた18世紀後半は歴史的に大きな転換期でした。フランス革命を前にして、権力が貴族から新興ブルジョワジーへと移っていく時代です。アダム・スミスのバックには新興ブルジョワジーがいたわけですから、『国富論』は彼らの思想や行動を代弁するような立ち位置で書かれたと考えるべきです。

島地 そもそも、新興ブルジョワジーの思考・行動のもとになるのが資本主義だと。

中谷 その通り。一握りの貴族にだけ富が集中するのではなく、自由経済、自由貿易により多くの人に機会の平等をもたらすべきというのが資本主義のイデオロギーです。そして多くの起業家が生まれ、西洋諸国は未開拓の植民地を求めて海外に出て行った。近代化とは西洋世界が非西洋世界を支配する過程であって、それをサポートしたイデオロギーが資本主義であり、自由貿易なんです。

日野 なるほど。そうやって整理されると流れがとてもつかみやすいです。

島地 つまり、その近代化の流れのなかで『国富論』は書かれたと。でもアダム・スミスは、なんでも際限なく自由にやっていいとしたわけではありませんよね。

中谷 そこが良心的といいますか、昨今の軽薄な新自由主義経済主義者とは違うところです。資本主義、自由貿易を認めながら、アダム・スミスは一方で道徳の大切さも説いています。格差の拡大まで言及していないのは時代的に仕方がないことだと思いますが、西洋諸国が際限なく自由に、好き勝手にやっていると、やがてとんでもないことが起こるという危惧を、すでに持っていたんじゃないでしょうか。

島地 なるほど。その危惧をさまざまなデータで具体的に実証してみせたのがピケティの『21世紀の資本』なんですね。

中谷 そういう見方もできます。