20年前、あの戦慄の裏側で

魚住昭の誌上デモ「わき道をゆく」連載第125回
魚住 昭 プロフィール

3歳のとき、彼女は男の子が振り回した鉄パイプで額を割られ8針も縫った。父は彼女の額の傷を「三日月」「稲妻」と見なし「神様からの祝福だね」と言った。三日月や稲妻は宗教的なシンボルだ。おかげで傷跡を気にせず、むしろ誇りに感じるようになった。

'87年、父はオウム教団を作った。急速に膨張する教団のなかで父はすべてを見通す神のような存在になった。外部から激しい攻撃を受けても、彼女は父と一緒なら死んでもいいと思ったという。

〈父のそばにいると、一瞬で心を覆っていた鎧が解かれ、底知れぬ安心感に満たされたからです。そこは識別のない世界でした。理屈はありません。人の心を掴んで離さない包容力と言ってもいいかもしれません。同じような話を、わたしは多くのサマナ(出家信徒)から聞きました〉と彼女は言う。

 

麻原は不思議な男だ。娘には優しい父でも、敵対する者には激しい憎悪をむき出しにし、愛人を何人も作ったりする俗物性も併せ持つ。どれが本物の彼で、どれが偽物なのかよく分からない。でも、それを突き止めないと、「真理の求道者」たちが殺人集団に変貌した理由を解き明かせない。

手記で麗華さんが強く訴えているのは父の無実ではない。彼女は〈父が事件に関わっていないと、信じているわけでもありません〉と判断を留保したうえで、精神に異常をきたした父親の治療をひたすら求めている。

娘としては当然の要求だろう。彼女は'04年、東京拘置所で初めて父に接見したときの様子をこう書いている。〈コンクリート造りの接見室。分厚いアクリル板の向こうに、車いすに乗った、小さなおじいちゃんがいました。それが三四〇九日ぶりに見る父でした〉。
父は変わり果て、廃人になっていた。話しかけても「うん、うん」と意味のない音を発するだけだ。裁判所は死刑を免れるための詐病としたが、彼女がその後、数十回にわたって接見しても意思疎通ができたことは一度もない。

弁護側が鑑定を依頼した精神科医6人は全員、麻原には訴訟能力がないと診断した。私は専門家ではないけれど、麻原詐病説にはやはり同意できない。

理由は二つある。一つは冒頭に触れた、幻覚を起しやすい麻原の体質だ。彼は成人してからも、統合失調症によく見られる幻聴や妄想を再三体験している。

もう一つは、彼の精神が変調をきたした経緯である。彼が法廷で不規則発言を始めたのは地下鉄サリン事件の重要証人への弁護側反対尋問からだ。この反対尋問で検察側立証は崩れだした。麻原はいわば裁判の最大のヤマ場で反対尋問の妨害行為を繰り返した。詐病ならあり得ない行為である。

司法に真実を追究する良心があるなら即刻麻原の治療に取り掛かるべきだと私は思う。彼を死刑台に送るのはそれからでも遅くない。

『週刊現代』2015年5月9・16日より


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