名医たちが涙する「忘れられない患者たち」(上)「彼らに僕は大事なことを教わりました」

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週刊現代 プロフィール

「そのときの僕は本当に無力で、医者という職業に就きながら、彼にやってあげられる治療はほとんどありませんでした」

それでも何とかしてあげたい—。浅原医師は、毎晩、深夜に仕事が終わると、彼の病室を訪ねるようになった。男性や泊まり込んでいる家族と、夜な夜なたわいもない会話をする。そんな日々が続いた。

「その患者さんは、大手企業で営業部長をしていて、ゴルフが大好きな男性でした。夜に病室を訪ねると、病気のことはほとんど話さず、ゴルフの話や会社の話なんかをしていました。まるで自分も家族の一員になったような時間でした。厳しい現実に置かれているのに、周囲の人を惹きつける魅力がある方だったんです。この人をがっかりさせたくない、そんな思いが強かったですね」

入院から3ヵ月。家族に囲まれ、彼は静かに息を引き取った。

医者としてできることはないか。彼の死後も、考え続けた。このときの思いが、患者にとことん向き合うという浅原医師のスタンスにつながった。

「彼と長く一緒にいたことで、患者さんやご家族をできるだけ安心させたい、と思うようになりました。今は、外来と入院とで担当医が替わる病院も多いですが、僕はできるだけそれはしたくない。それに、可能性があるなら新しい治療法も積極的に取り入れていきたい。それはずっと変わっていません。病気を治すことだけでなく、ここで治療を受けてよかったと思える何かをしてあげたいと、日々、患者さんに接しています」

人生で初めて手術した患者

どんな名外科医にも、「初めて手術した患者」が必ずいる。日本初の「バチスタ手術」に挑み、これまで5000件以上の心臓手術を手掛けてきた須磨ハートクリニック院長の須磨久善医師。彼にとっての「先生」は、その「最初の患者」だ。

「執刀医として最初にメスを握ったのは、35歳のときでした。ある日、教授に呼ばれ『来週入っている手術は君がやりなさい』と言われた。あのときの心境は忘れることができません。『やった!ついに来た』という喜びと、『大丈夫かな、俺でいいのかな』という戸惑いが錯綜していました」

翌日から、手術に向けて準備を整えていったが、須磨医師はあることが心にひっかかっていた。

「患者さんに黙って自分が執刀していいのだろうか、という思いがどうしても払拭できませんでした。当時は、わざわざ『教授に代わって私が執刀します』と患者に言う医者はいなかった。何かあったときは、教授が責任を取ってくれるわけですから。でも、うまくいったとしても、後から患者さんに訊かれたら、ものすごく気まずい思いが残るだろうと思ったんです」

執刀を任された患者は、70代の男性。病状は重く、非常に難度の高い手術だった。悩んだ末に、手術の前夜、須磨医師は意を決して患者の病室へ足を運んだ。