名医たちが涙する「忘れられない患者たち」(上)「彼らに僕は大事なことを教わりました」

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週刊現代 プロフィール

「学校に行きたい。先生、早く治してよ!」

そう叫ばれても、当時の医療技術では、彼女の望みは何一つ叶えてあげられない。「先生も頑張るね」と言葉を濁すことしかできなかった。

彼女の容体は次第に悪化していった。肺など体内には徐々に水分が溜まっていくため、溺れているかのように息苦しくなるのだ。

「そのときには、もう彼女は『苦しい』とは言いませんでした。そう言っても、どうすることもできないし、周囲の人を困らせるだけだとわかっていたんです」

自分より20歳も年下の幼い子が、なぜこんなつらい思いをしなくてはいけないのか—医者である自分が何もしてあげられないことが悔しかった。

「ごめんね……。先生が代わってあげたいよ」

思わずそうつぶやくと、彼女は横尾医師の目を見て言った。「やだ、こんな苦しい思いを先生にさせたくない」。その言葉は、今でもはっきりと耳に残っている。

その後、徐々に彼女の意識は薄れていった。横尾医師にとって、少女は初めて死亡診断書を書いた患者になった。

「ずっと傍にいた子がいなくなって、仕事も手につかず僕は廃人のようになってしまった。あんな幼い子が、我慢して苦しんで、それでも治らずに死んでいくことが耐えられなかった。こういう病気と闘う子に手を差し伸べたい、そう思いました」

この患者との出会いが、横尾医師が腎臓病を専門にする原点となる。現在でも腎不全になれば週に何度も透析を受けなければならず、患者の負担は大きい。それをなくすため、腎臓再生の実現に向けて横尾医師は日々研究を続けている。

患者にとって、医者は病気を治してくれる「先生」だが、日々患者と向き合っている医師たちにとっても、患者こそが、医師としての進むべき道を示してくれる「先生」なのだという。

彼の死後に気付いた

患者を救えなかった無力感—千葉徳洲会病院副院長の浅原新吾医師も、15年前に経験したその思いが、現在の医者としての自分を作ったと語る。

「肝臓がんが背骨にまで転移した50代の男性でした。肝臓の治療のために私のところへ来たときは、骨の手術をしたあとで下半身が麻痺して歩けなくなっていました。非常に進行の速いタイプのがんで、初診のとき『これは厳しいな』と直感したのを覚えています」

すでに手術ができる段階ではない。画期的な抗がん剤もなく、既存の治療法を試しても悪化する一方。もはや、手の施しようがない状態だった。