小泉堯史&上田正治 第3回
「黒澤さんはいつも『ぼくは芸術家と呼ばれるよりも職人と呼ばれたい』と言っていました」

島地 勝彦 プロフィール

シマジ 黒澤さんは主に自分でシナリオを書いていたんですか?

小泉 自分でお書きになっていました。だから次の日にはどうなるかわからないことが沢山ありましたね。すべて黒澤さんの頭のなかにしかないものなので、ほかの人が入り込むのは難しかったでしょう。ひたすら神経を集中させたなかで、なにかに突き動かされながら書いている感じでしたから。

シマジ 『用心棒』には原作はあったんですか?

小泉 『用心棒』のころはまだ関わっていませんでしたが、ダジール・ハメットを参考にしたと聞いています。 わたしがはじめて黒澤組で働いたとき「ダジール・ハメットをきちんと読みなさい。勉強になるよ」と教わりました。だから『用心棒』も、ハメットの『ガラスの鍵』とか『血の収穫』とか『新任保安官』とか、そういうものが下敷きになっていたんでしょう。

立木 小泉監督は若いころ映画のスチールをやったこともあるんでしょう。

シマジ そうですよ。小泉さんは写大を出ていらっしゃるんですもんね。

小泉 立木さんのような憧れの先輩の前で大きな顔はできませんが、市川崑さんの『股旅』でスチールをやりました。というのも、そのときは助監督に入れてもらえず、スチールなら空いているよ、という話だったんです。

シマジ 助監督になるのもそんなに難しいんですか?

小泉 難しかったですよ。

立木 でも凄いじゃないですか。市川崑さんともお付き合いできて。

小泉 そうですね。ちょうどそのころモータードライブが出てきて、市川さんに「小泉、モータードライブを買え。それで撮ってくれ」と言われたんです。あれはニコンのモータードライブでしたね。買ったのはいいけど、ギャラがほとんど手元に残りませんでした。

立木 たしか市川さんは絵もカメラもお好きでしたよね。

小泉 お好きでしたね。絵もお上手でした。