二宮清純レポート 走れ!ヨシヒロ3番・丸佳浩 広島は変わった、僕も変わった(上)

週刊現代 プロフィール

もちろん、低めのボール球といっても、最初からボールゾーンに来た球に安易に手を出すバッターはいない。厄介なのはストライクゾーンからボールゾーンに落ちる、あるいは曲がる球である。

これらをすべて見切る、と丸が明言した背景には、いったいどんな事情があるのだろう。

解説するのはカープOBで、昨季まで4年間、巨人の投手総合コーチを務めた川口和久。

「早打ちのバッターが多いカープにあって、彼は選球眼がいい。簡単に三振しない。甘いボールを見逃さない。しかも足が速く、左も苦にしない。巨人が一番、抑えるのに苦労したバッターです。

そんなバッターにストライクで勝負するピッチャーはいません。基本的な攻め方としてはアウトコースから入り、インコースのボールを見せる。インコースといってもストライクではなくボール球です。こうして内を意識させておいて、最後は外、あるいは低めのボール球。両サイドと高低をめいっぱい使わないことには彼は抑えられない。

丸からすれば、〝その手には乗らない〟ということでしょう。巨人では、こちらも〝4打席のうち3打席抑えられれば御の字〟というくらいの割り切りで勝負させていました。客観的にみて、彼こそは〝理想の3番打者〟ですよ」

丸が初めて甲子園にやってきたのは'06年の夏である。2年生ながら千葉経大附の3番ライトで出場した。

初戦の相手は豪腕・大嶺祐太(現千葉ロッテ)擁する沖縄・八重山商工。延長戦の末、6-9で敗れ、丸も5打数1安打に終わった。

「大嶺さんは全然、レベルが異なるピッチャーでした」

自嘲気味に、丸は語る。

「真っすぐが来た、と思ってエイッと振ったら、スライダーが、どんぴしゃのタイミング。真っすぐはカスリもしなかった……」

続く3年春にはエースとして出場したが、2回戦で敗退した。甲子園では話題になるような活躍はしていない。

「(高校通算で)49本のホームランを放っているとはいっても、高校時代のことはあまりアテになりません。僕らの世代で光っていたのは中田翔(大阪桐蔭-北海道日本ハム)ですよ」

俊足、好守、巧打—。今でこそ三拍子揃った外野手の代表格だが、高校時代はそうでもなかったらしい。

千葉経大附の松本吉啓監督が振り返る。