ピエトロ・村田邦彦社長「取引先を値段で天秤にかけない。信頼関係を大事にしないといけない。父から継いだ、私の経営の信念です」

結構、辛かったんですよ。先輩は中学、高校卒だからみんな年下。大卒の私を嫌い、掃除をすると、そこにわざと野菜の切りくずを捨てる(笑)。しかし習ったことは身になっています。例えば伊勢エビの捨てる部分を焼いて粉にして、溶かしたバターに入れておく。これを海老グラタンに隠し味として入れると風味がちがった。思えば、いまだ身を助けてくれているのは「何でも一からつくった」経験です。

ドアの音

24歳の時、父に独立させてもらいました。西洋料理の「レストラン村田」。しかし経験が浅く、4年で閉めざるを得なかった。オープンキッチンの洒落た店で、味はよかったんですが「人は飽きる」とわかっていませんでした。メニューや味にかわり映えがないと、お客様の印象は「おいしい!」から「またか」に変わるんです。今後につなげる何かをご提供できていなかったあたり、経験不足、若気の至りだったんでしょう。

店を閉める日、従業員にお別れを言い、灯りを消し、ドアの鍵を締めた時の「カチャン」という音がクリアに聞こえたことをよく覚えています。だから今も、よそのお店に行くと「このメニューには“次の展開”があるのかな?」と心配になる(笑)。

重鎮---イタリアでの陶芸展の時、伊料理界の重鎮、グアルティエロ・マルケージ氏とともに

決断

パスタの店を出したきっかけは、洋食店を閉めて一般企業で営業をしている時、先輩に「オマエならここの旨さがわかるはず」と、有名なパスタの店に連れて行かれたことでした。私が通い詰め、味を熱心に研究すると、オーナーは「フランチャイズで店を経営してほしい」と言ってくれました。しかし私が乗り気になると、私の試作品を食べてくれた友人が何度も「やるならお前の腕でやれ」と説得に来るんです。私が「そうか」と考え直し、福岡に出した店が「洋麺屋ピエトロ」でした。

思えば、富士山で言う7合目くらいまでは人の話を身を乗り出して聞き、最後は自分で決める、くらいの決断がちょうどいい。ちなみにこの時の恩人である先輩、友人には、のちに弊社の監査役などをお願いしています。

空き瓶

ピエトロドレッシングは、ある工夫から生まれました。仲間が「博多の人間は注文してから(パスタが茹で上がるまでの)10分間も待たない」と言うんです。確かに、と思い食前にコーヒーを出そうかと考えましたが、そうだ、女性は健康的な食事に敏感だ、と特製ドレッシングでサラダを出したんです。そのうちお客様が「このドレッシングだと旦那や子どもが野菜を食べてくれるから」と仰るので、ワインの空き瓶に入れてお譲りした。これが、オレンジ色のキャップの「ピエトロドレッシング」の原点です。

芸術家

趣味は陶芸です。形を整え、登り窯に入れると1週間ほどは出せません。できあがりを見ると、作家さんがその場で陶器を叩き割る気持ちがよくわかります。90%はうまくいかないんです。でも「これではやっていられない」と思う瞬間も含め、このプロセスを楽しんでいます。先日はイタリアで個展を開き、380点持って行ったうちの300点が売れましたよ。料理も芸術も根っこは同じ、しかも「美しさ」のような世界共通のものは必ずあるのだと感じます。

ちなみに私はテナーサックスも吹くので、アメリカでインディアンたちが使う笛を見た時、興味を持って吹かせてもらったんです。その時、見よう見まねで日本の曲を吹くと、音がわかるのでしょう、インディアンのひとりが、にこーっと素晴らしい笑顔を見せてくれたことを覚えています。