認知症を「救い」という新しい視点で見直した画期的なルポ---野村進・著『解放老人 認知症の豊かな体験世界』

野村 進

そんなふうに事が運べば劇的なのだが、あいにく拙著はノンフィクションである。
カルテのお年寄りの名を仮に「梅子さん」としよう。率直に記せば、梅子さんは母と生年月日が同じだけで、他の共通点はほとんど何もなく、ノンフィクションのストーリーを牽引していく登場人物としても存在感が薄かった。

結局、私は拙著で彼女についてひとこともふれていない。現実とは往々にしてそんなもので、だからこそおもしろい。
逆に言えば、この本には梅子さんを脇に追いやってしまうほど、強烈な存在感を放つお年寄りたちが続々と登場する。

つげ義春の名作「ねじ式」も顔負けのシュールな幻想を語ってやまないハナさん。すきあらば病棟からの脱出を狙いつづける源五郎さん。車椅子を両手でこぎまわりながら、悪罵と怨嗟のかぎりを叫びつづける徳子さん。カーテンでもカレンダーでも、また「浴室」や「汚物処理室」といった標識でも、自分の上方にあるものなら何にでも、さながらバスケットボールのダンクシュートのように飛びつき、思い切り引っぱり落としてしまう誠三さん・・・・・・(お名前はすべて仮名である、念のため)。

狭い家庭内ではなく、広い病棟の中で見る彼ら彼女らは、「極彩色」と表現したくなるほどの多様な個性を発揮していた。これほど個性的な集団の中に入ったことが、取材歴でも馬齢を重ねてきた私にはなかった。
70年も80年も、さらには90数年も地道に黙々と生きてきた人々の、それまで抑え込まれていた鬱憤やら屈託やら忍従やらが、まるで堰を切ったかのように迸り出ている。むろん堰を切った“犯人”は、重度認知症である。

だが、誤解をおそれずに言えば、意のままにふるまう重度認知症の人々の姿に、私はいっそすがすがしさすら感じるときがあった。ご本人にとっては、たとえ一瞬にせよ、「解放」と呼んでもさしつかえない瞬間があるのではなかろうか。

拙著でもうひとつ強調したかったのは、“救い”の視点である。
認知症が進むにつれ、がんの痛みを感じなくなる。死に対する恐怖とも無縁になる。末期がんにも苦しまず、安らかに永眠する。
これは、私ではなく、認知症の研究や治療、介護、看護にあたってきた専門家たちがよく口にする現実である。一般には、ほとんど知られていない事柄かもしれない。

私も、いわゆる“もの盗られ妄想”や、家族とのしがらみや、戦禍の記憶に苛まれてきたお年寄りたちの表情が、本来なら食い止めたかったはずの認知症の進行によって徐々にやわらいでいくのを、何度もまのあたりにしている。

認知症はこれまで、ただただ重く、暗く、一片の救いもない難病とみなされてきた。それは唯一、死によってのみ救われると、絶望的にとらえられてきた。
たしかに、そういう面はある。私自身、死による救いを否定はしない。
だが、認知症には、それが発症したころから死に至るまでに、伏流水のごとく流れつづけている救いの要素もありはしまいか。人体も自然の一部なのだから、自然は陰に対する陽を、さらに言えば苦をおぎなう楽をも、どこかで用意しているはずだ。
それゆえ拙著では、「認知症が内包する救済の可能性」に、あえて「懸けてみたい」と記したのである。

このささやかなルポルタージュが、従来の敗北的な認知症観にいくらかなりとも風穴をあけることを、私は願ってやまない。

(のむら・すすむ ノンフィクションライター・拓殖大学教授)
講談社 読書人の雑誌「本」2015年4月号より

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野村進(のむら・すすむ)
1956年、東京都生まれ。上智大学外国語学部英語学科中退。1978~80年、フィリピン、アテネオ・デ・マニラ大学に留学。帰国後、『フィリピン新人民軍従軍記』で、ノンフィクションライターとしてデビュー。97年、『コリアン世界の旅』で大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をダブル受賞。99年、『アジア新しい物語』でアジア太平洋賞を受賞。現在、拓殖大学国際学部教授もつとめる

野村進・著
『解放老人 認知症の豊かな体験世界』
講談社 税別価格:1300円

認知症=不幸なのか?
2025年には730万人に達する可能性があるともいわれる認知症患者(厚生労働省調べ。最多の場合)。『救急精神病棟』『脳を知りたい!』で知られる著者が、重度認知症治療病棟のお年寄りたちに長期間密着。この難病をまったく新しい角度から見つめた画期的なルポ。

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