佐藤義則(ソフトバンク投手コーチ)「勝てない投手を勝たせるのが、私の仕事」 二宮清純レポート ダルビッシュ有、田中将大を育てた「優勝請負人」が明かす

週刊現代 プロフィール

「ピッチングは下半身が基本。ヒザが回って腰が回って、最後に肩が回る。上半身だけでピッチングをしようとするからおかしくなる。

もっと、わかりやすく言えば〝ピッチャーならヒザで投げてくれ〟ということですよ。ヒザで投げたいコースに引っ張っていく感覚。ヒザが割れずにしっかり回っていれば、自ずと腰も肩もついてくる。ここだけは、どんなピッチャーに対しても、しっかりとチェックさせてもらいます。譲れないところですね」

最後の職人

佐藤は北海道奥尻島の生まれである。函館有斗高、日大を経て'77年、阪急にドラフト1位で入団した。

当時、阪急の投手陣は、秋田出身の山田久志、新潟出身の今井雄太郎ら雪国から来た者が少なくなかった。

「だから、山田さんには飲み屋の席でよく言われましたよ。〝わかっているなヨシ、オレたちは出稼ぎにきているんだ。北国根性で頑張るぞ!〟とね」

22年の現役生活で通算165勝(137敗)をあげた。セーブも48。'85年には21勝をあげ、最多勝に輝いた。翌'86年には最優秀防御率のタイトルを獲得している。

球界を驚かせたのは40歳11ヵ月でのノーヒットノーランである。これは'06年に中日・山本昌に破られるまで、最年長記録だった。

現役時代、佐藤が最も影響を受けた指導者が入団時の投手コーチで、後に監督になる梶本隆夫である。通算254勝の大投手ながら、万事、控えめな人物だった。

「現役時代、何人かのコーチにアドバイスを受けたのですが、一番、的確だったのが梶本さん。いい時のフォームを覚えてくれていて、いくつかのポイントしか指摘しないんです。余計なことは一切言わない。僕には非常にありがたいコーチでした」

選手が指導者になった時、一番影響を受けた人物に似てくる、とは野村克也の口ぐせである。佐藤にとって、それは梶本だったのだろう。

今季、韓国プロ野球ハンファ・イーグルスの投手コーチに就任した元巨人の西本聖はオリックスで1年間、佐藤とともにプレーした。

「僕にとっては初めてのパ・リーグ。知った選手も少ない。キャンプで〝ニシ、飯でも食いにいくか?〟と一番気を遣ってくれたのが佐藤さん。兄貴肌の人ですよ」

一緒に仕事をしたのが'03年。星野阪神の投手コーチとして、18年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

「僕と佐藤さんには共通点があるんです。ともに165勝。教え方にしても、これだけは譲れないというものを持っていた。