佐藤義則(ソフトバンク投手コーチ)「勝てない投手を勝たせるのが、私の仕事」 二宮清純レポート ダルビッシュ有、田中将大を育てた「優勝請負人」が明かす

週刊現代 プロフィール

下半身を強化するには、何を措いてもランニングである。下半身がたくましくなるにつれて踏み込みが鋭くなり、ステップも安定感を増していった。制球力の向上は、その帰結だった。

このシーズンを限りに日本ハムのユニホームを脱いだ男がいた。'90年代後半にはエースとして鳴らした岩本勉である。

春のキャンプ、佐藤は何も言わずに岩本のピッチングを見つめていた。沈黙ほど不気味なものはない。

ある日、恐る恐る岩本は切り出した。

「佐藤さん、僕のピッチングを見ていて、どう感じましたか?」

次の瞬間、意外な言葉が返ってきた。

「オレ、オマエにアドバイスしてもいいんか?」

振り返って岩本は語る。

「こんな気遣いをされたことは、これまでなかった。もう本当にビックリしました。これをきっかけに、いろいろとお話をさせてもらうようになったんですが、佐藤さんは言うべきことは遠回しではなく、ハッキリ言うんです。

ある時、こう言われました。〝オマエ、足が弱くなっているだろう?〟と。これは図星でした。僕は右足のふくらはぎと左足のハムストリングに古傷があった。それが原因で、ごまかしながら投げていたんです。

それを佐藤さんは一発で見抜いた。大げさではなく、その指摘を受けて野球観が変わりました。年齢による変化や体力の低下から目を背けてはいけないと。もう一度、鍛え直すため、新しいトレーニングも取り入れました。現役最後の年に佐藤さんと出会えたのは、僕にとって幸運でした」

「抜いて抜いて100」

'07年限りで日本ハムを退団した佐藤は、1年の解説者生活を経て、楽天のユニホームを着る。監督は野村克也。知将の指示は「田中を一人前にすること」だった。

佐藤は以前から、田中の左ヒザの開きが気になっていた。踏み込んだ際、キャッチャーから見るとヒザ小僧が外を向くのだ。

「左ヒザは最終的に投げたい方向を向くかたちがいい。割れちゃダメ。ヒザが内側から出て回っている間に腕を振り抜く。これが理想。田中はつま先から着地するタイプだったので、ヒザでうまく踏ん張れずに開いていたんです」

佐藤によれば、左ヒザの開きが原因で両足の間に蓄えられたエネルギーが散逸していた。低めにストレートが伸びない原因もそこにあると見ていた。