巨大ウイルスの発見は何を意味するのか?
次々と発見される巨大ウイルスは、サイズが大きいだけでなく、多彩な遺伝子を持ち、細胞性生物に近い機能を備えているものもいる。これらの新発見により、「ウイルスは生物ではない」という定義が揺らぎ、巨大ウイルスは未知の生物グループ(ドメイン)ではないかという議論が湧き上がってきた。
最先端のウイルス研究が「生物とは何か」をあらためて問い直す。
二〇一三年七月、「超」がつくほど巨大なウイルスに関する第一報が、科学誌『サイエンス』に掲載され、そのニュースが世界中を駆け巡った。帰省中だった筆者は、翌日東京駅に着いたその足で、神楽坂の研究室に直行し、さっそく『サイエンス』誌に掲載された実際の論文を目にしたのであった。
発見当初は「新しい生命の形(NLF:New Life Form)」というニックネームが与えられていたというこの巨大ウイルス。論文では、「パンドラウイルス」という名がつけられていた。そしてそのウイルスは、その論文が掲載されている『サイエンス』誌のカバー写真を、堂々と占拠していたのである。
パンドラウイルス。
むろん、その名の由来はギリシャ神話の「パンドラ」である。
パンドラは、ギリシャ神話における人類最初の女性であるとされる。大神ゼウスの命令によって作られ、人間とともに暮らしていた神エピメテウスに妻として与えられたが、あるとき退屈のあまり、決して開けてはならないとゼウスから言い含められ渡されていた「箱」を聞けてしまった。その中には、人聞社会にさまざまな争いごとを生みだすもとである「嫉妬」、「殺意」、「恨み」などの災厄が封じ込められていて、パンドラがそれを開けたとたん、こうした災厄が人間社会に放たれてしまった。
この神話が転じて、誰もしなかったことやタブーとなっていたことを最初にやろうとすることを「パンドラの箱を開ける」と言うようになった。
当初、このウイルスが「新しい生命の形」と名付けられたのには相応の理由があった。その姿が、あまりにもそれまでのウイルスとは大きく異なっていたからだ。
ウイルスとしてあまりにも異様なその姿に、研究者たちが驚いた姿は想像に難くない。大自然が大海原の奥深くにしまいこんでいたものを、私たちはついに見つけてしまった……、そんな思いが研究者の脳裏をよぎったのかもしれない。まさに禁断の箱を開けてしまったパンドラのように。
その姿は、全くウイルスらしくなく、かといって、これを生物とみなすにはあまりにもウイルス的であった。
ウイルスでもない。生物でもない。
だとしたら、これまでに全く知られていない新たな生命の形なのではないか。
いまのところ、パンドラウイルスは「ウイルス」に分類されているが、はたしてそれでほんとうによいのだろうか? パンドラウイルスは、ほんとうに「ウイルス」なのだろうか? いやそもそも、「生物」とはいったい何なのだろうか?
現在、生物の世界は三つのグループ(ドメイン)に分けられることになっているが、ウイルスはそれにあてはまらない。しかしもしかしたら、新たな「第4のドメイン」が付け加わることになるかもしれない。そんな議論が、巻き起ころうとしているのである。
いったい、私たちは、どんな「箱」を開けてしまったのか。
それは、パンドラが開け、この世界にもたらしたさまざまな悪しきものたちのように、私たち生物に何かとてつもなく悪いことをもたらすのか、はたまた、生物学に新たな、しかしとんでもなく画期的で魅力あふれる一ページをもたらすのか。
いまはまだ、誰にもわからない。
本書は、そんなウイルスたちと、彼らにまつわる生物たちの話である。