不安にこたえる「寿命」の研究 それは初めから決まっているんです

自分は何歳まで生きるのだろうか
週刊現代 プロフィール

「青春時代、人生に絶望したときに自殺を考えたことがありました。でも、生き延びた。頭の中では『死のう』と思っていたのに、僕の心臓はちゃんと動いているし呼吸もしていて『生きよう』としているのに気付いたんです。自分の身体の中に、『生きよう』とする命があった。

ですが、70歳を過ぎてからは、命の『生きよう』とするエネルギーが減退してきていると感じています。以前から、『自分は76歳で死ぬと思う』と言っていました。理由はないけれどなんとなくそう思うようになってきたんです」

「生きよう」とするエネルギーが使い果たされるとき──それが「寿命」なのではないか。小椋氏のように、自身の寿命を見定めて、それに抗わずに受け入れる生き方もある。

「長生きしたい」という人間の欲望にこたえるために科学や医学が発展してきたわけだが、前出の山折氏は、そのことが「寿命という伝統的な考え方を揺るがしている」と警告を発する。

 

「生命科学の進歩は、少数の人間を幸福にするかもしれません。病気が治り、人間の寿命まで人工的に操作できるという段階に達している。ですが、恵まれたおカネのある人だけが享受できる技術です。それは倫理的にはどうなのでしょう。

いま、天から与えられた寿命をそのまま受け入れることができない状況が生まれています。科学の進歩が、かえって高齢者の不安や恐怖感を増幅することにもなるのです」

長生きしたいというのは、誰もが抱く願いかもしれない。だからこそ、病気になれば治療を受けるし、長生きするために健康に気をつけたりする。だが、寿命を人工的に延ばそうとすることでひずみが生じるのもまた事実。そうであるなら、「運命」を受け入れるのも一つの選択肢ではないだろうか。

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それは簡単なことではないが、身近な人のつらい死を乗り越えてきた人の経験に、「寿命を受け入れる」ためのヒントがある。

エッセイストで、初代・林家三平師匠の妻の海老名香葉子氏(81歳)は、幼い頃、東京大空襲で両親、兄弟、祖母と家族6人を失った。しばらくは、「あれが寿命だったんだ」と思うなど決してできなかったという。

「病気だったならまだしも、戦争の爆撃に命を奪われたのですから。お父ちゃんもお母ちゃんも、もっと生きられたのになんで死んだのよ、と泣き叫んでいました。家族は戦争のために殺されたんだと思っていました」

その思いが変わったのは今から35年前、47歳のときだった。夫の三平師匠が亡くなった年だ。

「夫は肝臓がんが見つかって検査入院をしたのですが、その途中に容態が急変し、亡くなったんです。がんはかなり進行していましたが、3ヵ月は持つだろうと言われていましたので、本当に突然のことでした。

当時、夫はまだ54歳。若すぎる死だとたくさんの方が悼んでくださいましたが、私は、あれは夫の『寿命』だったと思っているんです」

そう思えたのには、理由がある。亡くなる直前、ベッドに横たわりながら三平師匠は海老名氏にこう語りかけたのだ。