宇野亞喜良 第3回
「ぼくは中学生のころから親父のアシスタントとして室内装飾の仕事を手伝っていました」

島地 勝彦 プロフィール

宇野 親父は名古屋の人間で、いまでいうところのインテリアデザイナーでした。そのころは「室内装飾家」といわれていましたね。親父が内装を手がけた喫茶店は繁盛すると評判だったらしいです。

母親は喫茶店をやっていました。いまにして思えば、親父が母親の店のインテリアを担当して、そこから恋愛に発展したんでしょうね。戦後は、ぼくの知る限り母親の生活力で食べていたようなものでしたが、ぼくは中学生のころから親父の仕事のアシスタントみたいなことをやっていました。

ヒノ きっとそれがいまの舞台美術家としてのウォーミングアップになっていたんでしょうね。

宇野 そうかもしれませんね。親父は怠け者で、なんでもぼくに描かせていたんです。工芸的なことを覚えたのはたしかにそのお陰ですね。

だから演劇に関わるとすぐ背景を描いてしまうんですよ。他の人がちまちまやっているのを見ると、「ぼくがやればもっと早いのに」なんて思っちゃうんです。80歳でそこまでやらなくてもいいのに、とは自分でもよく思いますけどね。

シマジ 宇野さんはなにか大きな病気はなさいましたか?

宇野 白内障で77歳のときに手術をしました。タッチャンは目は大丈夫ですか?

立木 いまのところは丈夫ですけど、そろそろじゃないですか。

宇野 シマジさんのお父さんはどんな方だったんですか?

シマジ 学校の教師でした。戦前は政治家の秘書をやっていたらしいんですが、一関に疎開してから水と米が美味いといって、中学校で数学と英語の先生をしていました。子供のころはよく魚釣りに連れて行ってもらいましたが、わたしはあまり熱中出来ず、餌も親父につけてもらいまして、まるで殿様釣りでした。

立木 それで後年は陸(おか)釣り専門になったんだな。

ヒノ アッハハハ。言い得て妙です。週刊プレイボーイの編集者になったんですからね。

シマジ それは偶然だけどな。

ヒノ シマジさんがよくいう「運と縁とセンス」ですか?

シマジ まったくその通りだよ。宇野さんにお会い出来たのも、タッチャンといまでもこうして仕事しているのも、運と縁とセンスがあってのことですよ。