錦織圭とコーチ(マイケル・チャン)が受けた「人種差別」 よく耐えた、よく乗り越えた 全豪オープン、無念のベスト8

週刊現代 プロフィール

その後もチャンはたびたび4大大会の決勝の舞台に立ったが、再び優勝することは叶わなかった。

そして'03年、チャンは31歳で引退。テニス界の偏見を変えるという志は、あと一歩のところで果たせぬままとなった。

引退後、チャンはひっそりと生活してきた。鋼のメンタルで世界と戦い抜いてきた男だけに、トッププロたちからコーチのオファーはひっきりなしにあった。だが、チャンはその一切を断り、静かに隠遁生活を送っていたのだ。

チャンが再び勝負の世界へと戻ることを決意したのは、引退からちょうど10年が経った、'13年の秋。彼は錦織からのコーチのオファーに応じた。

おそらくチャンは、自分が果たせなかった夢を託せる選手を待ち続けていたのだろう。それを示すように、錦織のオファーを受けた理由をこう語っている。

「同じアジアにルーツを持つ者として感じるものがあった」

それからは、錦織への熱血指導が始まった。『錦織圭マイケル・チャンに学んだ勝者の思考』の著者で、追手門学院大客員教授の児玉光雄氏が言う。

「チャンはコーチに就任して早々、『きっと君は私を嫌いになるだろう』と告げた。これは錦織を本気で強くしたいという、決意表明です。あるとき、チャンは錦織に『苦手な選手は誰か』と聞いた。錦織が答えると、チャンはその選手の映像を取り寄せ、徹底的に分析し、アドバイスを与えたそうです。そんな熱意に触れ、錦織もチャンを信頼するようになっていきました」

チャンが錦織の指導において何よりも重視したのは、脆かった精神面の強化。アジア人に対して好意的ではない、いわばアウェーの4大大会の舞台でも、錦織が臆せず戦い抜けるよう、徹底的に指導した。

「まずチャンは、錦織の技術面を一から作り直しました。元々コーチだったアルゼンチン人のボッティーニは、比較的選手の自主性を重んじるタイプで、錦織はそれに甘える部分があった。簡単にいえば、『今日はこの辺にしとく?』という感じで、練習を切り上げていたんです。

しかし、チャンは絶対にそれを許さない。それこそ、サーブのときのボールの上げ方、足の運び方など、ジュニアで教わるようなことをへとへとになるまで繰り返させた。練習のときのチャンはまさに鬼で、一切の妥協はなし。錦織は基礎技術が身についてプレーが安定しただけでなく、『これだけやったのだから』と自信を持ち始めた」(前出のテニスジャーナリスト)

相手が誰でも勝つのは俺だ

徹底した反復練習と並行して、チャンが錦織に繰り返し言い聞かせてきたのは、「自分を信じろ」という言葉だ。

大人しい性格の錦織は、時として相手を必要以上に尊敬してしまう傾向があった。それが顕著に現れたのは、'11年にスイス・バーゼルで行われた大会の決勝で、フェデラー(スイス)に完膚なきまでに叩きのめされた試合だ。