【沿線革命020】 羽田空港へは新幹線の新線を作るべきだ!

鉄道の過去の偉業2つを振り返ろう

前回書いたように、2015(平成27)年度中にまとめられる「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について」の交通政策審議会答申に向け、国交省の小委員会にて議論が重ねられた。(http://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/s304_arikata01.html

小委員会第6回(http://www.mlit.go.jp/common/001057887.pdf)にて、「東海道新幹線が開業50年後に『あの時こういったものをつくって良かった』と思われるのと同じように」との発言があった。

まさにその通りであり、今回提案した羽田新幹線を2020年に間に合わせられれば、50年後に評価されるのではないだろうか。

JR東日本とJR東海の利害を調整し合意をまとめることも、羽田空港の中にトンネルを掘ることも、容易でないことは重々承知している。

鉄道の過去の偉業2つを振り返り、本当に2020年に間に合わせられないかを考えてみよう。

偉業2つとは、明治の鉄道開業と昭和の東海道新幹線開業である。それぞれの開業が1872(明治5)年6月(仮開業)と1964(昭和39年)10月であることは小学校の社会科の教科書にも載っている。

そしてなんと、それぞれの着工は1870(明治3)年3月と1959(昭和34)年4月であり、工期はわずか2年3ヵ月と5年6ヵ月だったのだ。

明治の頃、土木や機械や通信の技術が現代社会と比べどれほどだったか想像してみて欲しい。その時代に初めての鉄道を2年3ヵ月で作ったのだ。多摩川にも木橋を掛けた。鉄道の開業は世界で40番目だった。

昭和30年代、国内の最高速度95km/hの時代に着工し、技術開発・用地買収・工事・車両製造・資金調達・要員育成と全てのことを同時並行で進め、210km/hで走行する500km以上の前代未聞の高速鉄道を5年6ヵ月で作った。

明治の鉄道開業から92年、1964(昭和39)年に日本の鉄道は世界の頂点に立った。以来51年が経過し、2020年という目標に向け鉄道を元気にし、社会にもっと役立つものとしたい。

大井車両基地-羽田空港の地下ルートの新設に大掛かりな用地買収は要らない。500km以上の東海道新幹線を建設するのに、1mたりとも用地買収できない区間があれば万事休すだった。51年前の先輩たちはそれを乗り越えた。

今回の工事では、滑走路の下でも昼夜兼行でシールドマシーンによりトンネルを掘削できる。最大の難関は、営業中のターミナルビルの下に構築する羽田空港新駅だろうが、昭和の先輩たちと同様、5年6ヵ月でどうにかならないだろうか。2020年8月の東京五輪の5年6ヵ月前がちょうど今に当たる。

今から50年後に「あの時代の鉄道は元気がなかった」と言わせてなるものか。「2020年を機に鉄道は蘇った」と言わせたい。

阿部等(あべ・ひとし)
1961年生まれ。東京大学 工学部 都市工学科卒。88年にJR東日本へ入社、保線部門を中心に鉄道の実務と研究開発に17年間従事。2005年に同社を退社し(株)ライトレールを創業、交通計画のコンサルティングに従事。著書『満員電車がなくなる日』。日経ビジネスオンライン「キーパーソンに聞く」が好評。FacebookTwitterにて実名で情報発信。交通や鉄道の未来を拓きたい方のために、交通ビジネス塾(http://www.LRT.co.jp/kbj/)を主催し、工学院大学オープンカレッジ鉄道講座(http://www.LRT.co.jp/kogakuin/)の事務局を務めている。
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