宇野亞喜良 第1回
「ぼくは昔から裏でチマチマやる細かい作業が好きなんです」

島地 勝彦 プロフィール

シマジ 先日、原作が寺山修司、構成・美術が宇野さんの「新宿版千一夜物語」をヒノと一緒に拝見しました。わたしがいちばん面白かったのは、"オチチ"という女がオッパイを露わにしてコップにミルクを飛ばす場面ですね。一瞬ギョッとしましたし、エロティシズムを感じましたし、ユーモアがありました。観客も喜んでいましたよ。

宇野 あれは1968年初演の芝居で、ぼくがポスターを描く時点ではまだ寺山の戯曲が完成していなかったんですね。あのオッパイのアイディアはぼくが勝手に考案して描いたものなんですが、寺山がいたく気に入ってくれて芝居のなかに取り入れてくれたんです。

シマジ そうだったんですか。寺山修司も天才ですが、やっぱり宇野さんも天才ですね。

宇野 わたしはともかく寺山は天才ですね。あれはたしか彼が32歳のときの作品ですよ。

シマジ 寺山さんとはいつごろ知り合ったんですか?

宇野 ぼくは1964年か65年くらいだったと思います。横尾ちゃん(横尾忠則)のほうがちょっと先に彼と知り合っていました。

立木 おれもけっこう早くて、「マンハント」で8ページ使っていいから、寺山修司と和田誠、都築道夫、そしておれの4人でなにかやれと言われたときからの付き合いでしたね。

宇野 タッチャンとぼくが出会うのはもっと後でしたよね。堀内誠一さんと一緒だったと思う。

立木 アド・センター対ライトパブリシティの時代だったと思います。あのころはすでに週刊平凡の「ウィークリー・ファッション」の仕事が忙しかったなあ。

宇野 タッチャンはアパレル関係に強かったの?

立木 そうですね。アド・センターに高田賢三やコシノヒロコが集まってなにかやろうとしていた時期ですから。

シマジ タッチャンはすごいね。20歳くらいでもういっぱい稼いでブイブイ言わせていたんだ。

立木 ブイブイ言わせてはいなかったけど、とにかく仕事はいっぱいもらっていたね。