漫画家・安野モヨコの原画、ホノルル美術館へ ~作品の新たな「文脈」を求めて

寺田 悠馬 プロフィール
原画A © Moyoco Anno / Cork Inc.

ホノルル美術館に目を向けると、「モダンラブ」で展示された作品の説明には、キュレーターたちの言葉がぎっしりと並んでいる。例えば、安野モヨコの漫画『さくらん』の原画Aの説明文は、このように始まる。

「右上から左下へと読み進められる本作の構図からは、安野の、シネマトグラフィーに対する秀逸な感性が見て取れる。まずは誰もいない廊下に、子供たちが言い争いをする声だけが聞こえる。次に幼い禿がその姿を現し、読者の視点が徐々にページの下部に誘導されると、禿の怯えた目線から、そびえ立つ主人公・きよ葉の姿が浮かび上がってくるのだ」(筆者訳)

漫画のたった一ページを説明するのに、言葉が溢れている。

じつはこれは、学問としての美術史において「フォーマル・アナリシス(形式分析)」と呼ばれるテクニックであり、筆者(この場合はキュレーター)が、自分が見たものを、まずは正確に言葉で表現するという基本技術である。作品が目の前にあるにもかかわらず、あえてそれを言語化するのは、自分が注目しているポイントを明確にすることで、それから展開する批評の地ならしをする趣旨がある。つまり、丁寧なフォーマル・アナリシスがあって初めて、例えば、春画と『さくらん』の歴史的関係についての検証が可能になるのだ。

近年の国内の例では、現代美術家の山口晃氏が、著書『ヘンな日本美術史』でアートの言語化を行っている。氏は本の内容について、「私が得手勝手に先達の絵を見立てているのを、余談も含めて記しただけ」と述べている。だが、誰もが一度は見たことのある日本美術の名作を、山口氏の研ぎ澄まされた言葉で解説されると、それまで気づくことのできなかった作品の魅力が、くっきりと浮かび上がってくるのだ。

作品と向き合った時に、「なんとなく美しい」、「なんとなく面白い」という以上の感想を自らの言葉で述べることは、じつは容易ではない。とくにアートの世界では、その「なんとなく」を、感受性の名のもとに、良しとしてしまうきらいがある。

だがそこで、一見「乱暴」でも、アートをあえて言葉に落とし込むことによって、批評が生まれ、そしてその先にあるアート市場と美術史とが構築される。それはつまり、孤立していた作品(コンテント)に、文脈(コンテキスト)を与える行為と言えるだろう。

コンテントと、それを取り巻くコンテキストとは、つねに切っても切り離せない関係にある。そもそもコンテントがなければ何も始まらないが、一方でコンテキストがなければ、作品は社会との関連性を失い、重要性が損なわれてしまうからだ。

安野モヨコの作品は、今回ホノルル美術館に展示されることによって、漫画とはまた一つ違う、現代アートという文脈を得るきっかけを掴むことができた。国内外を問わず、作品に新しい輝きをもたらす「コンテキスト作り」は、まだ始まったばかりである。

参考文献)
瓜生通信62号 特集:やなぎみわの翼
アート・インダストリー 究極のコモディティーを求めて』(辛美沙著/美学出版)
ヘンな日本美術史』(山口晃著/祥伝社)

寺田悠馬 (てらだ・ゆうま)
株式会社コルク取締役副社長。ゴールドマン・サックス証券株式会社、大手ヘッジファンドを経て現職。コロンビア大学卒。著書に『東京ユートピア 日本人の孤独な楽園』(2012年)がある。Twitter: @yumaterada

著者:寺田悠馬
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