ひとり息子は13歳で海を渡った 世界の錦織圭から島根の両親(父は土木技術者、母は主婦)へ

週刊現代 プロフィール

そして、島根から世界一へ

フロリダでの留学生活は、テニス漬けの日々だった。

錦織と一緒に渡米し、現在はブリヂストンスポーツのテニス企画部に所属する富田玄輝氏はこう語る。

「朝の5時半から夕方の6時まで、学校で授業を受ける数時間を除いて、常に練習。僕ともう一人の喜多(文明)は結局、2年しかいなかったのですが、『つらくて、早く帰りたい』とずっと言っていました。でも圭だけは『帰りたい』とは決して言わなかった」

2年目になると錦織は、二人を追い抜き急速に力をつけていった。現在、リコーのテニス部に所属する喜多文明氏は、錦織が急成長した理由をこう語る。

「たとえば多くの日本人選手は頭を超すショットを打たれた時、回り込んで打とうとしますが、それじゃあ世界では通用しない。そこで圭は後ろを向いたまま打ち返す練習なんかをよくやっていました。最初は遊びの延長だったんだけど、筋力がついてきてそれを実現できるようになったことも大きいと思う」

3年目になるとIMGから、錦織に専属のコーチを付けたいと盛田氏に提案があった。専属コーチを付けるとなると1000万円近い費用がかかる。が、盛田氏はこれを快諾した。

「圭の力が認められ、素直に嬉しかったですね。その時初めて、ノートに『ついに世界を狙える子が出てきた』と書いたことを覚えています」(盛田氏)

その後、'07年に17歳でプロになった錦織だが、ランキング上位の選手を倒すには、まだまだ大きな「壁」があった。

そこに、もう一つの転機が訪れる。マイケル・チャンコーチとの出会いだ。

実はチャンとの運命的な出会いを作ったのは、母の勇気ある行動だった。

「錦織は自分よりさらに低い身長で、世界ランク2位にまで登りつめたチャンに、コーチを依頼したいと思っていたんですが、なかなか機会がなかった。そんな時、試合会場でチャンの奥さんを偶然見かけた錦織のお母さんが、話しかけて連絡先を交換したんです。それが元で、正式にコーチを依頼することになりました」(スポーツライター)

'13年にチャンがコーチに就任してから、もっとも大きく変わったのは、錦織の精神面だった。

「以前の錦織は、フェデラーやナダルといったランキング上位の選手をリスペクトし過ぎていました。でも一度コートに立ったら、それは倒すべき『敵』なんだとチャンは口を酸っぱくして言い聞かせた」(前出のスポーツライター)