『華族誕生』の誕生---浅見雅男・著『華族誕生』

浅見 雅男

本書でもそのいくつかを引用したが、華族だった人たちが回想記などで書いている自家の爵位に関する記述には、クビをかしげるものが多い。ウソとは言わないが、勘違いにもとづいたらしい可笑しな「事実」が、いくつも述べられているのだ。家の「名誉と体面」を守らねばという意識がこうじてのことであろうし、それはそれで「歴史的」には面白い現象だが、こうした記述が当事者によるものだという理由から「史実」として定着してしまうのは、やはり困ったことだろう。

歴史学者などの書いた研究書の中にも、爵位の決定過程などについて、誤りが散見されるものがある。一例をあげれば、九州のある小さな大名家の幕末から明治にかけての歴史を書いた書物には、その家が維新時の功績を評価され、明治17年7月の華族令施行と同時に家格不相応の伯爵をもらったとあった。さらに、同時に叙爵されたこの大名と似た家格の家は男爵にしかなれなかった、とも書かれていた。しかし、そのようなことがありえないのは、本書で述べたとおりである。

この本の著者は明治17年に伯爵となったとされる元大名がいた地方の国立大学で国史を教える教授である。想像になるが、地元にはおそらくこの大名家の維新での功績を誇張して称える伝承があったのだろう。それがいつのまにか「史実」に変わり、教授もそれをうっかり信じてしまった、と勘繰っては失礼だろうか。

私の関心の対象は華族から皇族にもひろがっていった。その過程で気がついたのは、上記のような歪みが、皇族についての書物などではもっと多く見られることだった。

とくに近代の皇族は華族以上に歴史研究の対象となりにくかった。そのために皇族や彼らの家である宮家については、かなりいい加減な「事実」が書かれ、語られている。俗に「饅頭本」といわれる追悼録や、自分に都合のいいことしか書いていない自伝の類の内容、またインタビューして聞いたことをそのまま信じ込んで皇族たちを美化している書物などは、戦前どころか最近においてさえめずらしくない。

戦前期に皇族についてのまともな研究がなされなかった理由は分かる。不敬罪が存在するなかでは、客観的な考察、著述さえ遠慮しなければならなかったのだろう。ところが敗戦から70年も経った現在でさえ、そのようなことがあるのは不思議といわざるをえない。これは天皇や皇室への尊崇の念とは別のことである。ましてや、皇位継承問題をめぐり、一部の物知らずの政治家などが「旧皇族を皇族に復帰させよ」などと主張しているのを思えば、とくに若い世代のクールな目での皇族研究の出現も期待される。

(あさみ・まさお 著述家)
読書人の雑誌「本」2015年2月号より

浅見雅男(あさみ・まさお)
1947年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。出版社勤務のかたわら、近代の皇族・華族制度研究に取り組む。現在、上智大学文学部非常勤講師

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浅見雅男・著
『華族誕生 名誉と体面の明治』
税抜価格:1,080円

明治2年に誕生し、現行憲法の発効と同時に消滅した華族制度。そこでは誰が華族となり、「公侯伯子男」の爵位はどのように決められたのか。また、爵位をめぐってどんな人間模様が描き出されたのか――。豊富なエピソードをまじえて華族制度の誕生を解説し、歴史上の意義を問う。実体が忘れられて久しい、名誉と体面の保持に拘泥した特権階級に光を当てた、華族研究の必読書。

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