[サッカー]
田崎健太「米国出張で感じた焦り」

~中村武彦vol.2~
スポーツコミュニケーションズ

引っかかった上司の言葉

 入社後、中村は北米営業部に配属された。
「AT&Tやベライゾンとか海外のキャリアネットワーク向けに光ファイバーを売る仕事でした。ネットワークが普及したらコンテンツを載っけるビジネスをしなければならないとか、技術者が話をしているんです。今でこそ、何をやっていたのか分かりますけれど、当時は自分が何をしているのか分からなかった」
 会議に出席しながら、中村は何も発言できなかった。
(サッカーのことならば、いくらでも話せるんだけれど)
 と肩身の狭い思いだった。

 一方、一緒に働いている技術者たちにとっては、大学の研究の延長線上にあるのだろう、仕事の細かな創意工夫を楽しんでいるように見えた。
「彼らの詳しい話の内容は理解できなかったです。ただ、仕事を抜きにして楽しそうなこと。そして本質を話していることは分かりました。自分が“アメリカ市場はこうです”とデータを基にして話しているのはうわべだけだなと思っていました」

 上司は文系学部出身であったが、技術的な内容にも詳しかった。あるとき、中村がその知識に「凄いですね」と漏らしたことがある。
 上司は「勉強したもの」と事も無げに言った。
「そうですよね。元々興味があったんですか?」
 中村が訊ねると上司は首を振った。
「いや、全くなかったから大変だったんだよ」

 そして、こう付け加えた。
「大変なことだから、仕事は金をもらえるんだよ」
 上司の言葉に中村はなるほどと思いながらも、引っかかりも感じた。
(興味のないことを無理矢理、勉強するのではなく、興味のあることを勉強すればスーパーサラリーマンになれるのではないか)

 そのとき、漠然と自分の最も好きなこと――サッカーを仕事にすることを考え始めた。
 そんな中村の背中を強く押すことになったのは、米国出張だった。米国にNEC現地法人子会社を立ち上げるための研修が目的だった。

「ぼくは上司と二人で座っていると、向こうはマーケティングの人間が出て来た。相手はMBAをとっている専門家でした。彼はぼくが法学部出身でセールス部門を担当していると言うと、怪訝な顔をした。なんでお前のような人間がいるんだと。その後、契約書類の会議になると、法務部の弁護士が出て来た。彼はロースクールを出ていた。ぼくが法学部を出ていると聞くと、どうしてセールス部門で働いているのか理解できない様子でした。会計の話になると会計士が出てくる。みんなそれぞれの専門家なんです」

 自分はこれからも様々な分野を広く浅く担当することになるだろう。NECの中では使える人間となれるかもしれないが、専門分野で年々経験を積み重ねて行く彼らと比べると、個人的なスキルはどんどん差が開いていくことだろう。中村は焦りを感じた。

 自分は専門家になりたい。しかし、何の専門家になるのか――。
「中田(英寿)のプレーの専門家になるか、なんてギャグを自分で言いながら笑っていました」
 こう笑った中村だが、実はこの米国出張では、彼の人生を決定づける出合いがあった。
 米国で始まっていたメジャーリーグサッカー(MLS)である――。

■田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクション作家。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退 社。著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち—巨大サッカービジネスの闇—』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』 (講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)。最新刊は『怪童 伊良部秀輝伝』 (講談社)。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。

(つづく)

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