第109回 大塚明彦(その三)400億を投じた「複製美術館」---1000点の名画を陶板に再現した

福田 和也

この頃、東京の霞が関に、36階の超高層ビルの建設が始まっていた。
超高層ビルの建築ラッシュがくるとにらんだ正士は、負荷を軽くするため、「水に浮かぶくらいに軽いタイル」の開発を目指した。
3年の時間をかけて見事、水に浮くタイルの開発に成功し、副生産技術として大型陶板も誕生した。
直ちに特許を出願し、このタイル製作のために大塚オーミ陶業は創立されたのである。

社員の福利厚生施設には30億円を投じた

ところが、創業した矢先に石油ショックに見舞われ、ビル建築は急低下、建築業界は不況のどん底に沈んでしまった。
当時専務だった奥田實によって、美術陶板の製作が提案された。

「タイルのような安いものではとても食べていけない。この小さな試験設備でできるもの、それは単価の高い、しかも他社で真似のできない美術品を、それも国宝級のものを陶磁器で製作する以外道はない」(『わが実証人生』)

大塚オーミ陶業が開発した美術陶板は、大きなもので縦3メートル、横60センチの陶板に、世界各地の美術館で撮影してきた原画の写真を転写し、油絵独特の質感を再現するため、本職の画家が修整を加え、一千三百度の高温で焼成したものである。

最大の特徴は油絵やテンペラ画のように劣化しないこと。2000年たっても色が褪せることはないという。
200年後、300年後、世界の名画が色褪せたときに、世界中から美術愛好家が徳島に集まってくる、というのが、美術館建設に際しての正士の構想であった。
また、「徳島からヒトが流出しないように堰を作る」のが狙いでもあった(『日経ビジネス』2003年9月29日号)。

大塚国際美術館世界で初めて「複製」をテーマとした美術館は、システィーナ礼拝堂の天井画も陶板で再現する(徳島県鳴門市)

美術館が開館した8ヵ月後の平成10年11月、新薬開発をめぐり名古屋大学医学部元教授に六千万円の賄賂を贈ったとして、明彦が逮捕された。翌月には、大塚製薬社長を辞任。
 翌年3月に、懲役1年8ヵ月執行猶予3年の有罪判決を受けた。

「経営は理詰め」と強調し続けた理想主義者、明彦の61歳の挫折であった。

正士は息子が逮捕されたことについて、「『(明彦にとって)いいことだ』と語っていたという」(『フォーブス』二〇〇〇年九月号)。

これが自分には教え切れなかった、理想だけでは通らない、世の矛盾だと言いたかったのかもしれない。

その正士が平成12年4月に他界し、明彦は取締役に復帰した。
平成20年7月、持ち株会社の大塚ホールディングス設立と同時に会長に就任し、22年12月には東証一部上場を果たした。
またその翌年からは大塚製薬会長を兼務し、大塚国際美術館の名誉館長も務めていた。

美術館のすぐ近くに、大塚グループの「潮騒荘」がある。社員のための福利厚生施設だというが、30億円を投じた荘厳な建築物は、明らかにその域を超えている。

実際は要人を招く施設として使われていて、天皇陛下が訪れたことがあるという。
その隣には大塚家の200坪の自宅が併設されている。

明彦の曽祖父の代まで、大塚家は鳴門で半農半漁の暮らしをしていたという。
曽祖父たちは、漁船から見上げていた高台の地に、子孫がこのような御殿を建てることになるとは夢にも思わなかったに違いない。

『週刊現代』2015年1月31日(1月15日発売)号より

 

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