倉本聰インタビューこの国はどこへ行こうとしているのか
「北の国から」いま思うこと

週刊現代 プロフィール

再稼働と脱原発という二項対立、そうした大きな問題とはひとまず距離を置き、震災がもたらした故郷喪失という悲痛なドラマ、人間の一人ひとりの悲しみを描きたかったんです。そこにこそ戦後の日本と未来を考える上で、重要なテーマがあると思うからです。

昨年の8月、僕は福島県浜通りの夜ノ森という地区と福島第一原発の中へ取材に行きました。夜ノ森地区のような強制避難地区に行くと、いまもまるで映画のセットのようです。ある家を覗けばベビー用品が震災当時のままに置いてあるし、床はネズミの糞だらけで、道を歩けばイノシシや牛が歩いている。

まだ新築の家を見ると、この家は若い夫婦が建てたんだな、とわかるわけです。その方たちはどんな夢をそこで実現しようとしていたのか。あるいは代々のご先祖様の写真が飾ってある古い家を見れば、その写真の人たちの頃には原発なんてなくて、この辺りは畑や田んぼばかりだったんだろうな、この地に原発が来た時、彼らは反対したんだろうか、賛成したんだろうか……と、様々な想像が働きました。

誰もが「故郷」を失って

同じ時期に行った福島第一原発では、こんな光景が心に深く残りました。

廃炉作業の拠点となっているJヴィレッジで、僕は以前に環境教育のワークショップをしたことがありました。すると当時は深い森だった周辺に、汚染水用のタンクが次々に建てられているんですね。

僕が主宰していた富良野塾は、俳優の養成が目的でしたが、塾生たちは普段は農業をしたり、建築業に関わったりしていました。その中に、一昨年の10月から、福島第一原発で働いている人間がいるんです。彼に聞くと、「建屋内での作業は、被曝量の関係から1日に15分ほどが限界なんです」と言うんですね。

彼らは仕事から戻ると、その度に手袋と防護服を脱ぎ、靴のカバーを取って捨てるんです。それらはすべて低レベル放射性廃棄物になるので、燃やせない除染ゴミが袋に入れられて山積みされていく。

さらにタンクを建てるために桜の森がバリバリと伐採され、その伐採された桜も処理できない。労働者の中には地元の人が多いので、彼ら自身がそのことを悲しいと嘆いています。

ある場所は津波で流され、ある場所は強制的に避難させられ、そして、原発の周囲では自然がそのように失われていく—。僕はこの状況を見ながら、自分自身の「故郷」の喪失の記憶を重ね合わせていました。

僕は東京の善福寺の育ちなのですが、自分にとっての善福寺はもう、なくなってしまったという思いがあるんです。

戦前の善福寺の周囲には、いわゆる武蔵野の風景が広がっていました。池の周りには森があり、護岸のない沼には鷺のコロニーがある。ぽつん、ぽつんと見える藁葺きの屋根と雑木林。井の頭、善福寺、石神井というのは秩父の山からの伏流水が出るところで、池では水がぼこぼこと湧いていました。ビンドウを夜中に仕掛けておくと、朝には魚がたくさん獲れたものです。それが僕の故郷の姿でした。

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