倉本聰インタビューこの国はどこへ行こうとしているのか
「北の国から」いま思うこと

週刊現代 プロフィール

終戦直後のあるとき、「資本主義って何ですか」と聞いた僕に対して、「これからは、壊れないものを作ってはいけないんだ」と言った先生がいました。モノが壊れなければ、新しいモノは買われない。直すのではなく捨てることで、カネを回すのが資本主義の理屈だ、と僕は彼に教わりましたよ。

でも、僕の子供時代の理屈はそうではありませんでした。100円の靴下を1年間はくと、つま先や踵に穴ボコがあく。すると、オフクロが夜なべで繕ってくれる。そうやって継ぎ接ぎだらけになった靴下の価値は、母親が繕ってくれたという思い出が加わることで、下がるのではなく上がるんです。昔はそれが、多くの庶民に根付いていた価値観だったと思います。

消費を礼賛する一方で、生産者が疲弊していくのが、いまの時代です。ある年に天候異変が起こって不作になれば、別の場所から同じモノを持ってきて都市は常に潤い続けるけれど、これまでの生産地は衰退していくという図式。これは電力を都市部に供給し続けた福島と、消費し続ける都市の関係とも相似形でしょう。

原発の再稼働を進める側も原発に代わる自然エネルギーを推進しようとする側も、結局はすべて供給側の理屈で議論しているだけなのではないか、という思いが僕にはあります。

再稼働と脱原発というと二者択一のように思われますが、どちらも、どうやってエネルギーを確保するかばかりを考え、自らを省みようとしていない。お互いに今の暮らしは変えないという前提は同じでしょう。

私が見た福島の「今」

こうしたとき大切なのは、いわば富士山の5合目まではバスで行き、さらに6合目までエレベーターを付けようという発想を脱し、「海抜ゼロメートル」から考える姿勢です。もっと下から物事を見て、視野や議論の幅を広げなければならない。

その意味で僕は震災の後、真っ先に「需要仕分け」をすべきだったと思うんですよ。たとえば、テレビは本当に24時間放送する必要があるのか、コンビニは24時間キンキンに冷えたビールを売る必要があるのか。

あらゆることの需要を仕分けていくと、そこには必然的に人間の生活はどこまで縮小できるのかという問いが生まれるわけですが、そうした視点があっても良かったのではないか、と。

「これだけ供給できるから、需要と消費を増やせ」。その果てに行き着いたのが、全国に建てられた54基の原発に依存する社会でしょう。その結果として3・11の事故が起きたにもかかわらず、「経済効率がいい」といって、再び原発を動かそうとしている。この国は、どうしてしまったのでしょうか。

今月10日から、倉本さんが作・演出を手がける東日本大震災後の福島を舞台にした演劇「ノクターン」が全国で公演される。大切な家族、そして故郷を奪われた人々の、心の叫びを描いた今回の作品に、倉本さんが込めた思いとは—。

今度の舞台で僕が描きたかったのは、これまで述べてきた「国への怒り」とは少し別のものでした。

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