「戦後70年」特別鼎談 児玉誉士夫 笹川良一 瀬島龍三 四元義隆ほか「黒幕たちの戦後史」を語りつくす 保阪正康×佐高信×森功

週刊現代 プロフィール

保阪 児玉や笹川のような戦前から右翼として活動していたタイプと異なるのが、小佐野賢治のような戦後の新興黒幕です。

終戦後、ホテル会社やバス会社を次々と買収し、国際興業を創業した実業家ですが、とくに田中角栄との親密な関係が有名だった。

佐高 山梨の貧しい農家に生まれ、戦後のどさくさにまぎれて闇市から出てきたような人ですね。そういう意味では角栄と出自も似ている。角栄は自分が首相になる前に、周りから「小佐野との関係を切ってくれ」と言われて、「小佐野はケチだから、おまえたちが心配するようなカネは出していない」と金銭のやりとりを否定したようですが、二人が相当近しい関係にあったことは間違いありません。

森 小佐野は仕手戦をしかけて、株でも大きく儲けていたようです。日本航空や全日空、大韓航空の大株主にもなって、航空業界への進出もにらんでいたようですが、ロッキード事件でおじゃんになった。衆院予算委の証人喚問でくり返した「記憶にございません」というフレーズは、流行語にもなりました。

巧みに虚像を作り上げる

保阪 戦後の新興黒幕という意味で外せないのが、瀬島龍三でしょう。戦時中は大本営の参謀として作戦を立案し、終戦後はシベリアに11年抑留されて帰ってきた。

日本に戻ってからは伊藤忠に入って、社長・越後正一に食い込んだ。伊藤忠は繊維を中心にした商社ですが、当時は事務系が無茶苦茶だったそうです。そこへ業務部長に抜擢された瀬島が陸軍方式の書類の作り方を持ち込んで、改革を成功させた。

佐高 山崎豊子の『不毛地帯』にも描かれていますが、米国からの戦闘機購入にまでからんでいた。ダグラス・グラマン事件で明るみに出ますが、参謀時代の同期が自衛隊にいたのを利用したのでしょう。伊藤忠は繊維の商社だったのが、瀬島の力で総合商社へと発展していく。

保阪 私は、瀬島に2日間にわたるロングインタビューをしたことがあるんです。それで、彼の話には小さな嘘がたくさん紛れこんでいることがよくわかった。例えば、'41年12月1日に、御前会議で戦争をすることが決まった。その議題を天皇に伝えにいくという状況を説明するのに、「雪の降る皇居に入る車に乗りながら、これから陛下にそういうことをお伝えするのかと思うと憂鬱になった」なんて話すわけです。よく知らない人は瀬島が自分で天皇に報告に行ったように聞こえますが、実は彼は参謀総長のお供でついていっただけ。それなのに、あたかも自分が天皇に報告したような口ぶりになるんです。

森 相手によっては、「やっぱり瀬島はすごい人だ」となるわけですね?

保阪 そうなんです。相手の知識によって答え方を変えている。インタビューが終わって、カレーをご馳走になっているときに、私が「瀬島さんは語っていることと、やっていることに随分違うところがありますね」と話すと、ぽとんとスプーンを落としたんです。意外に純粋で真面目な人なんだな、と感じました。