最終決定! 立派だった日本人(1945年~2015年)ランキング&第一位スペシャル・インタビュー——我々を励まし勇気づけてくれたのは、この人たちだった

週刊現代 プロフィール

スペシャル・インタビュー文句なし!
1位に選ばれたのは、この人でした

感謝いたします

まず様々な分野の中から、野球の人間が選ばれたということが嬉しいですね。しかもその中で僕が1位になった。ただこの結果はやっぱり野球というものが、日本人の気持ちを背負っているということだと思います。戦後の日本において野球が一番だったということ。そういう風にファンが思ってくれていたことが何より嬉しいですよ。

「立派だった日本人」総合ランキングで第1位に選ばれた感想を尋ねると、巨人軍の長嶋茂雄・終身名誉監督(78歳)は、昭和という野球の時代と自らを重ね合わせて感慨深げに語った。

昭和33年のプロ入り以来、常にプロ野球の中心的存在としてファンの絶大な声援を受けたミスタープロ野球。それは同時に戦後の復興期から高度成長を遂げ、平成へと頑張ってきた日本人の象徴でもあった。

そうした戦後を象徴するスターとしては俳優の高倉健さんもいる。長嶋監督は、プロ入り直後から親交のあった健さんとの思い出をこう語る。

健さんとは僕が26歳のときからだね。共通の知人の紹介だった。健さんは当時、スターの輝きが出てきた頃で、映画界のもう一方には(石原)裕次郎さんもいた。あの当時の映画界は凄かったんだよ。そういうスターが人々の心の中にあった時代だから。健さんは日本人の男としてあるべき姿そのもののような人で、男が男に惚れる。まさにそういう関係だった。

二人の思い出の一つは国民的行事とも言われた10・8('94年10月8日に長嶋監督が率いた巨人が中日との最終戦同率決戦を制して優勝を飾った試合)の前にもらった電話だな。1度目は試合の前の晩、ちょうど桑田(真澄)を呼んで、翌日の試合では抑えで起用することを話している最中でした。そのときは「最後なんだから、一生懸命頑張ってくれよ」と激励を受けた。そうして2度目の電話がかかってきたのは、試合当日の昼間でした。そのときはただ「待っているぞ! 頑張れ!」と、ね。それだけでしたけど、それでもう十分でした。

健さんの激励に応えて長嶋巨人は中日を倒してセ・リーグを制覇。日本シリーズでも黄金期にあった西武を破り、日本一に輝いた。こうして選手、監督としてプロ野球を支え、「長嶋伝説」を作り続けてきた。10・8のメンバーには、のちに巨人の4番に座り、ヤンキースでも活躍した愛弟子の松井秀喜もいた。

スーパースターになれ!

松井について、「この選手はちょっと違うな」と思ったのは、甲子園大会での5連続敬遠の時でした。彼は何度敬遠されても同じようにバットを静かに置き、一塁へ走った。走り方も5回とも同じように淡々としていた。普通の打者なら心が乱れてもおかしくないが、それを見せなかった。堂々としていて、5回とも変わらなかったね。

当時の松井にはホームラン打者としての評価もあったけど、僕は違う。フォアボールで5回歩くのを見てこの男はいいな、凄いバッターだなと思ったわけです。