あけましておめでとうございます。2014年最後の連載である前回は、クリスマスのケンブリッジにて連載を振り返り、オックスブリッジ100人委員会が読者の皆様にお伝えしたいメッセージを熱く語りました。2015年の幕開けとなる今回は、場所を東京に移し、離れたところからオックスブリッジを見つめます。これまでの連載には書かれていない、オックスブリッジで経験したちょっとした裏話、今後の「オックスブリッジの流儀」の展望、さらにはオックスブリッジ経験から見えてきたものなど、盛りだくさんの内容を、現代ビジネス編集部とのフランクな座談会形式でお届けします。(聞き手:編集部・徳瑠里香)
― まずは、簡単に連載を振り返ってみて、皆さん、どうですか? 実際に書いてみて、感想などあれば教えてください。
羽生: 書いてみて良かったと思っています。学部4年間は何だったんだろうという、いろいろなものが絡み合った「もやもやとしたもの」がすっきりとしてきた気がしました。他の方の記事を読めたのもとても良かったと思います。加藤さんの記事を読んで、あれはまた別のもやもやの晴れ方で、「そういう見方もあったんだ」という新鮮な印象を受けましたね。もう一度学生時代を捉え直したという感じです。
篠原: 羽生さんのお話と重なる部分もありますが、カレッジ制度など、大学が提供する制度がある中で、それらがどういう意味を持って、何のために存在しているのか、また、英国社会と日本の社会の違いも考えるきっかけになりました。特に、考え方の多様性やコミュニケーションの仕方という点では違いを感じましたね。ケンブリッジでよく言われていたのは、英米のコミュニケーションは、「書き手責任、話し手責任」だということでした。日本は逆ですよね。「読み手責任、聞き手責任」だと思います。イギリスのコミュニケーションは、わからない時に、話し手がわかりやすく話していないのが問題だという考え方ですね。
羽生: それは、ロー・コンテクスト・カルチャーとハイ・コンテクスト・カルチャーということですよね。
― 連載を読んで、また皆さんを見ていて印象的だったのは、議論することを非常に重視されているということでした。日本では、受け身で聞いていることが多く、ディベートをしても、質問や議論が苦手な人が多い気がします。これは、今の話とも共通するのかなと思います。
羽生: そういうものは、向こうはシステマティックに行われているという感じですね。オックスブリッジの学生は、「議論の作法」を知っている印象があります。相関関係と因果関係の違いや、アドホミネム(対人攻撃)の概念、ロジックの立て方とか、ロジカル・ファラシーと言われる典型的な論理的間違いとか、そういうものは共有されていて、それを意識しながら議論しています。受け取る方もそういう知識を持っているので、ある意味筋を通すのは楽なんです。
河上: 自分の考えを相手に正確に伝えるということに普段から意識して取り組む必要があるのかもしれませんね。スーパービジョンでは、「自分の発言に責任を持ちなさい。」と先生に指導されます。特に法学では細かい部分の表現が重要になることも多いので、自分の頭の中で考えを整理した上で、相手に分かりやすく伝えるように心がけています。
羽生: それと、自分で理解していない時に、「Let me think.」とか、そういう感じで、「ちょっと考えさせてくれ」と言うハードルが日本よりもはるかに低いと感じます。