前知事の突然の辞任を受けて、出馬した都知事選挙であった。2月9日に当選してから、10ヵ月あまりが経つ。年の瀬を迎えるに当たって、知事として仕事をしたこの1年を振り返ってみる。
まずは、2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会の準備である。この国家的大事業を成功させるために、まず最初に競技施設建設計画の見直しを課題とした。組織委員会の森喜朗会長と、計画の全体をチェックしてみると、当初の案と比べてあまりにも経費が膨れあがっている。1,500億円の予定が4,500億円という膨張ぶりである。これでは、納税者である都民の理解は得られない。
そこで、既存施設の活用などで、ムダを省くことに専念した。その間、競技団体をはじめとする猛烈な反発を食らったが、カネは天から降ってはこない以上、仕方がない。紆余曲折はあったが、見直しの結果、約2,000億円を削減することができた。来年2月にIOCに最終案を出すまでには、さらに削減することを考えて、目下調整中である。
幸いなことに、IOCが、今月初めのモナコでの臨時総会で、経費のかからない大会を目指すという方向に転換し、我々と同じ方向を目指すことになった。オリンピック・パラリンピック大会に莫大な費用がかかる現状が続けば、立候補する都市がなくなってしまうという危機感がIOCを動かしたのである。10月にノルウェーのオスロが冬季五輪への立候補を取りやめたことが、IOCにとって大きなショックとなったのである。
2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会は、あくまでも通過点であって、その先の未来の東京をどうするかというグランドデザインが必要である。2020年大会では東京に素晴らしいレガシーを残すことができるように、私の直属のレガシー委員会でグランドデザイン作りに励んでいる。