[障がい者スポーツ]
伊藤数子「2020東京パラリンピックのレガシーとは?」

スポーツコミュニケーションズ

伝えられなかった50年前のレガシー

 さて、先日聞いた体験談に戻りましょう。彼女の話によれば、選手村には選手たちの交流の場として、インターナショナルクラブが設けられ、生バンドでの演奏が行なわれていたそうです。そこで外国人選手がバンド演奏に合わせて歌ったり踊ったりしているだけで、日本人選手は驚いていたと言います。

 そして彼女は、ある外国人選手からの言葉が印象に残っていると言います。
「日本代表が弱いのは、スポーツの技術的な差ではない。国の障がい者政策が原因だよ」
 50年前、日本と海外、特に欧米諸国とでは、障がい者に対する考え方に、これだけの差があったのです。

 しかし裏を返せば、その時の衝撃は日本人選手や障がい者スポーツ関係者が、障がい者や障がい者スポーツへの考え方を大きく変えるきっかけとなったはずです。それこそ出場した53名の選手たちは、開幕前は「大会が終わったら、また病院や施設に戻って、これまで通りの生活をする」ことを疑わなかったことでしょう。しかし、大会で海外選手の言動を目の当たりにし、「障がいがあっても、仕事をして、家族を持つことができる」「車椅子でも街に遊びに行くことができる」と、たくさんの希望がわいてきたと思うのです。そして実際、大げさではなくその後の「人生が変わった」はずです。

 そんな彼ら彼女らの貴重な体験はどのくらい社会に反映され、形になり、私たちが知ることとなったのでしょうか。これをきっかけに、障がい者がスポーツをすることが関係者に広まりました。選手の中には、その後、職に就いた人、結婚した人もいると聞きます。これは見逃してはならない大きなレガシーです。本来であれば、それが大きく社会に反映され、50年後の今、新幹線と同様に、私たちがレガシーとして認識できるようにすべきでした。

 しかし残念なことに、障がい者への理解や、障がい者スポーツの普及は、この時を機に劇的に変わったレガシーとして広く伝えられていません。そこにレガシーは確かにあったはずなのに、大きく取り上げられてこなかったのです。その原因のひとつは、欧米の選手の考え方や行動、その背景にあるものの違いに日本の選手たちがこんなに衝撃を受けることを予測しなかったからでしょう。その53名の驚きを予測し、社会変革に反映させる準備がなかったのだと考えます。

 一方で、現在は昨年2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定したことによって、障がい者への理解、障がい者スポーツの認知・普及は急速に進んでいると感じています。再び私たちは、パラリンピック開催を社会変革に活用していく機会を得ました。2070年、「50年前の東京パラリンピックのレガシーは?」という問いに、64年の新幹線のように、誰もが言える答えを予め用意しておくことが重要なのです。

伊藤数子(いとう・かずこ)
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車いす陸上を観戦したことが きっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するため の「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(廣済堂出版)がある。