『慟哭の海峡』大正生まれの男たち

"待ってよと 血を吐くこえで 呼ばいつつ 水掻く兵ら 涙ぬぐえずもう見えぬ 船よばいつつ 筏こぐ 狂いしごとく 竹筏こぐ"

大学で文学を学んでいた中嶋はこの時のことを回想し、このような歌を詠んでいる。希望は潰えた。ここから多くの兵たちの絶望的な漂流生活が始まる。容赦なく照りつける8月の太陽は、遮るもののない筏の上の男たちの皮膚を焼き、火傷を負わせる。暑さは即、乾きへとつながり、我慢できず彼らは海水を飲み始める。兵たちは茶色い尿をするようになる。

彼らは次々と狂い死ぬ。ある下士官は喋る気力も失せ、目だけをぎょろぎょろさせていたのだが、突然、意味不明な言葉を発し続けた後にこと切れた。またある兵は、中嶋が制しする手を振りほどき、何かを呟きながら海に入り消えていった。幻想の中で「湯をくれたご婦人方」を追いかけ夜の海に飛び込み消えていく者。中島を妻と思い込み、その手を握りながら清水を求めて死んだ男。中嶋自身も何度も戦友が夢枕に立ち、彼を呼ぶ夢を見る。そして戦友について行こうとするたびに、海へと転げ落ち我に返るという経験をする。狂い死ぬ者を見送る人の気持ちとはどんなものなのか。想像すらできない。

最後に生き残った朝鮮人軍属と中嶋は、死んだ兵の肉を食べるかで意見が分かれる。食べようという朝鮮人軍属の言葉を「日本人」だからと断るや中嶋。その直後、意識を失った中嶋が目覚めたとき、死体は消えていた。食べたかと聞く中嶋に、朝鮮人軍属は、肝を取りだし食べる前に洗おうとしたら死体が波にさらわれた、という。その言葉を耳にした中嶋は「なんだ!残っているものがあれば、俺にもよこせよ」とつぶやいた。自分でも思いもかけない言葉だった。戦争が生み出した極限状態は本人が知りたくもない、生物が持つ一種の生臭さを我々に突きつけるのだろう。

この朝鮮人軍属も息絶えた。自身も立つことすらできなくなっていた中嶋だが必至で彼を介抱した。この朝鮮人は間違いなく生死を共にした無二の戦友なのだ。彼はなんども「中嶋さん、ありがとう」とつぶやきながら死んでいく。中嶋は動かなくなった彼の横で四つん這いになり、なぜか軍人勅諭を叫んでいた。涙を流しながら。その行為が唯一、彼を現世に押しとどめる行為であるかのように。中嶋は漂流12日目に救助される。

「ヒ七一船団」は一昼夜の内に数隻の輸送船を失い、一万人以上の犠牲者をだしていた。この経験が彼のその後の人生を決める。彼は旅行会社を経営する傍ら、バシー海峡の戦死者遺族の慰霊旅行を企画し、私財を投じて台湾最南端の猫鼻頭岬に慰霊のための寺を建てる。戦後の彼は異常なまでの執念で慰霊の旅路を行くことになる。

彼の魂の一部は、あの時に留まったままなのだろう。いや、彼に限らず、戦争というものを生き残った者の心は、常に戦場という地獄に囚われる。死を迎えるまで、そこから抜け出すことができないのではないか。それは本書のもうひとりの主人公、柳瀬千尋が将校として勤務していた駆逐艦「呉竹」の生存者の話からも伺える。