これが俺のプロ野球人生だから「太く、短く」それでよかった 誰に何と言われようと、悔いはない……

山口高志工藤幹夫 与田剛 伊藤智仁 田村勤ほか
週刊現代 プロフィール

「甲子園で、最後の打者を打ち取る瞬間は最高でした。大歓声と共に、地響きを立てるように揺れる。野球をやっていて本当によかったと思えた。選手寿命がどうだとか、一切考えなかった。チームは優勝を狙える位置にいて『痛いから投げられない』とは絶対に言いたくなかった。いつも『これが最後のマウンドになるかもしれない』という気持ちで、全力投球していました」

7月に登録抹消後、「内側側副靭帯の炎症と部分断裂」と診断された。本来は手術が必要だが、田村は休養と筋力アップを選択。翌'93年には当時の球団新記録となる連続10セーブを含む22セーブを挙げた。しかし、痛みの出ないひじの出し方を意識するあまり、今度は左肩を痛めた。

野村克也監督が就任した'99年、田村は巨人の主砲・松井や高橋由伸らを抑える「火消し役」として起用されたが、以前の球威はなく、それを補う投球術で対峙した。'02年に現役生活を終えた田村が輝いたのは、入団3年目までだった。

「自分の野球人生には十分満足しています。ただ当時は、あまりに肩やひじのケアに対する知識がなかった。

今、僕は西宮で、故障で悩む野球選手のケアをしたくて整骨院を開業しました。この仕事を目指したのも、自分のケガの経験があったから。僕のプロ野球人生は一瞬の輝きだったかも知れないけど、でも僕にとっては生涯忘れ得ぬ、永遠の財産です」

プロなら皆、1年でも長くやりたい。でも、チームの勝利のため短命を覚悟で限界を超えることをいとわないひたむきさもまた、人々の心に深く刻まれている。

「週刊現代」2014年12月27日号より

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