これが俺のプロ野球人生だから「太く、短く」それでよかった 誰に何と言われようと、悔いはない……

山口高志工藤幹夫 与田剛 伊藤智仁 田村勤ほか
週刊現代 プロフィール

「でも、あれがあるから覚えていてもらえる」

そして「あの感覚を探し続けた野球人生だった」とも。プロ初登板で放った輝きは、投手コーチとなった今も、近藤を照らし続ける。

元ヤクルトの伊藤智仁(44歳)は、'92年ドラフトで1位指名されたが、同年のドラフトには、巨人に入団した松井秀喜もいた。当時スカウト部長として、伊藤を指名した片岡宏雄が振り返る。

「投手としては間違いなく、大黒柱になれる素材だった。打者には松井という、10年に1人の逸材がいたが、迷いはなかった」

直球と同じ腕の振りから繰り出される高速スライダーは、バットに当てるのも至難の業だった。初先発となった'93年4月20日の阪神戦でプロ初勝利をあげ、さらに同年6月9日、巨人戦で8回まで16奪三振。金田正一(巨人)、江夏豊(阪神)、外木場義郎(広島)に並ぶリーグタイ記録だったが、9回に篠塚和典にサヨナラ本塁打を浴び、0-1で敗れた。

伊藤ははめていたグラブをベンチに投げつけ、初めて感情をあらわにした。

「この試合を見て、『無理させたら、つぶれてしまうかもしれない』と感じた。伊藤はひじの使い方が柔らかく、ボールに力が伝わりやすい。だから体への負担が大きかった。彼は、人が見ていないところでも一生懸命やる性格だったしね」

片岡の不吉な予感は的中し、7月中旬に右ひじを痛めて登録抹消。その年に再び一軍で投げることはなかった。だが、抹消するまでの約3ヵ月で7勝2敗、防御率0・91と驚異的な成績を残し、実働3ヵ月で新人王に輝いた。

しかし'94年から2年間はひじ痛や肩の故障に悩み、一軍登板はできず。'97年に7勝し、カムバック賞に輝いたが、もはや本来の姿ではなかった。'03年、最後の登板となった秋季コスモスリーグの巨人戦、伊藤の直球の球速は109㎞だった。

「伊藤はチームのために頑張……俺も責任を感じて、球団首脳に『伊藤は引退後も面倒を見てほしい』と頭を下げた。長いスカウト人生の中でそんなお願いをしたのは初めてだった」(片岡)

周囲の期待を一身に背負い、腕を振り続けたからこその、「太く短い」野球人生だった。しかし、その姿は、野球ファンの記憶に刻まれている。

一瞬の輝きが永遠の財産に

伊藤と同時期に、ひじを高くあげる左腕の変則サイドスローとして活躍したのが、阪神の田村勤(49歳)だ。狙って三振が奪える直球の威力、マウンドで吠える闘争心は、熱狂的な虎党をとりこにした。

入団2年目の'92年、中継ぎから守護神に抜擢される。6月時点で24試合に登板し、5勝1敗14セーブと、この年優勝争いをした阪神を牽引した。

編集部からのお知らせ!

関連記事