単語だけは知っている「エントロピー」その異様さは〈単純さ〉にあり

『エントロピーをめぐる冒険』前書き
鈴木 炎

 世界は不可逆だ。浪費を取り戻すことはできない。だから節約しなくちゃ。こうした感覚は、物理学的にもまったく正しい。

 だが、それをつかさどるのは、実は「エネルギー」ではない。

 燃料を浪費しても、各種エネルギーは熱エネルギーに形を変えるだけで、減りはしないのだ。〈不可逆〉を支配するものこそが、エントロピーである。だから「省エネ」を叫ぶとき、われわれがそれと気づかず語っているのは、本当はエネルギーではなく〈エントロピー〉のことなのだ。

 では、あらためて聞こう。エントロピーとは何だろうか?

「乱雑さ」「でたらめになること」という説明を聞いたことがあるかもしれない。これもまた正しい。正しいのであるが、もしそれだけのことであれば、その解説に何十冊もの本が書かれる必要はあるまい。

 一方、別の本には「きわめて深く難解な概念である」「それを真に理解できる人間は数少ない」などと書いてあって、びびる。どっちが本当なんだろう。〈エントロピー〉なる言葉に漂うエキゾティックな魔力、そこはかとない神秘の響きは、どこからくるのだろうか。

 実は、エントロピーの異様さは、その神秘性や見かけの難解さにあるのではない。まったく逆に、その〈単純さ〉にあるのだ。

 ありえないほど単純。小学生にも即座に理解できるほど単純。単純すぎて、それが、森羅万象、世界のすべてを動かしているということが、信じられないのである。だが、それを理解した瞬間に、目もくらむような衝撃がやってくる。事実、隠されたこの真実にたどり着くため、人類は幾世代もの天才たちを必要とした。彼らは国境と世紀を越えて〈エントロピー〉の聖なる火を運び続けたのである。

 本書の意図のひとつは、この巨大な概念がどのように発見され成熟していったか、その歴史を、人間ドラマとして再現してみたいということにあった。いざ書いてみると、ちょっとした「エントロピー・ツアー」へご招待、ということになった。

 ところで、高校や大学の教科書では、往々にして、エントロピーが難解というだけでなく、無味乾燥、とっつきにくいものにも見えてしまう。その原因は、歴史的背景があまり語られないことのほかに、数式による定義や導出が煩雑すぎて本質を見失ってしまうことにもあるのではないだろうか。

 ホーキングによれば、一般書で許される数式の数は最大一個(!)ということだが、ブルーバックスならもうちょっと緩くてもいいだろう、というわけで、式の数は十個以内という目標も立てた(最終的にはそれをだいぶ超えてしまったが……)。

 読者としておもに想定したのは、エントロピーや熱力学についてもっと詳しく知りたいという理系の高校生である。近ごろ教科書が変わって、熱力学の部分もやや詳しくなったようだから、タイムリーかもしれない。だが、進んだ中学生や、文系の読者にも楽しんでいただけるように、歴史や社会的背景、人間的なエピソードも盛り込んだ。理系の本にはちょっと珍しい面々(ナポレオンやらツヴァイクやらリンカーンやら)にも、ご登場願うこととした。

 数式が少ないのは、理系の大学生には物足りないかもしれない。それでも「エントロピーって、そういえば何だっけ?」という方々には、復習を兼ねて役に立つのではないだろうか。かつて学んだことがあるコンセプトも、違った視点から眺めることで新鮮に感じていただければ嬉しい。

 一方、熱力学・統計力学のプロにとっては、だいたいもう知っていることばかりだから退屈だろう。それでも、〈通〉しか知らないような「蔵出し」エピソードも掘り起こして書き加えたので、このたびはこれでご勘弁いただきたい。

 エントロピーの理解のしかたは、ひとつではない。ブルーバックスでも、すでに熱力学・統計力学・エントロピー関連の優れた書籍が多数刊行されている。本書では、それらとは一味違った切り口で攻めてみた。本書のアプローチはかなりの読者にとって目新しく映るかもしれないが、決してオリジナルなものではない。それどころか、少なくとも物理学科の学生にとっては、久保亮五やキッテルの教科書を通じて標準的な道筋のひとつとなっている。

 にもかかわらず、物理学以外の分野では、学生・研究者を問わず、驚くほど知られていないのである。これを、熱力学に関心をもつすべての方々に広く紹介したい、というのが本書執筆のいまひとつの動機であった。