プランクのエネルギー量子の発見、恐竜絶滅の謎、海洋循環……
自然の声を聴く数学の物語
原因から結果を予測する──これは、順問題。
結果から原因を探る──これが、逆問題だ。
古典物理では説明不可能な現象が顕在化し
その限界が意識され始めた19世紀末頃から、
観測結果に基づいて現象の原因を決定する
逆問題の発想による研究が始まった。
原因から結果を予測する、これが順問題。それに対し、結果から原因を探る。これが逆問題である。
たとえば、水の中にインクを落とす。水の流れなり渦なりの知見から、インクの拡散する様を理解する。これは順問題である。しかし、より興味深いのは、インクが拡散する紋様を見て流れや渦が水面下でどうなっているかを知ることであろう。この思考の方向は、どうなるのかではなくなぜそうなるのかに在り、謎解きに似る。
17世紀にニュートンが物体の運動の力と加速度による記述を発見して以来、数学は自然現象の理解に有用な言語と演繹法を提供してきた。しかし、原因から結果を導くという形で科学に貢献するのが主流であった。そして、科学は現象を理解し、それを予測に役立てる方向で進化してきた。
だが、古典物理で説明不可能な現象が顕在化しその限界が意識され始めた19世紀末頃から、数学や数理物理学の分野で逆問題の発想による研究が、おのおの孤立した成果ではあるが散見されるようになる。そして、これらは次第に「逆問題」として括られ、その発想法は諸科学や工学の世界に広く浸透するようになった。この20世紀以降から現代に活きる逆問題の発想とその解析法を、生きた形で伝えたい。本書のねらいは、そこに尽きる。
現象から自然の声を聴く。これが自然科学者のライフワークである。逆問題の解析は、現象から自然への直接のパスを通すことによって、これを具現するものだ。したがって、科学者が圧倒的な意識改革を迫られた場面場面に、逆問題は関与してきた。たとえば、プランクのエネルギー量子発見、恐竜絶滅に対するアルバレスらの隕石衝突説、ストンメルらの海の流れの研究、これらはすべて、実は逆問題の発想による。
現代逆問題が意識され始めたのは20世紀半ば以降であるし、それが受け入れられ熟成するまでには、時代を先駆した偉大な研究がそうであったのと同等の時間を要した。したがって、この時代を先駆けた研究者らは、それが逆問題であるという認識なしに、これら科学史に残る研究を行ってきた。
逆問題研究の基盤を作ってきた数学者や工学者と同様に、真実が静かに姿を現すのを注意深くそして忍耐強く待った自然科学者達も、偉大な洞察としての仮説が試練を乗り越えるために、現象から自然への直接のパスを通して自然の声をつぶさに聴いたのである。
本書は、自然の声を素直に聞くための逆問題の物語である。この物語を読者に伝えるための手段は、筆者にはただ1つしかなかった。自然の声をつぶさに聴いて洞察を行った科学者たちの原典を、先入観なしに読み解くことである。
この読み解きを粉飾なしに提示し、そのことによって逆問題の魅力を伝える。これが、本書における逆問題のすすめである。