私だけが知っている「羽生結弦の真実」ブライアン・オーサーが明かした

読めば読むほど、なるほど。
週刊現代 プロフィール

コーチに就いて以来、羽生の心技体すべてを指導してきたオーサー氏が、彼だけが知る羽生の真実を語った。

ヨナに続き、ユヅルがソチで優勝すると、多くのコーチや選手、メディアから「どうやったら金メダルを獲らせることができるのか?」と聞かれました。私の指導を受けたら、金メダルが獲れる、みなさんそんなふうに思ったのでしょう。事実、ユヅルの優勝後、私のもとには世界中のスケーターから、指導の依頼が殺到しました。

ただ、はっきり言っておきたいのですが、私に何か特別なスキルがあったために、ヨナとユヅルが優勝できたわけではありません。

ユヅルには元々豊かな才能があり、日本でそれを育んだ上で私のところへやって来た。確かに、ユヅルの4回転ジャンプの成功率が上がったのは、私が指導するようになってからですが、すでにトップスケーターとしての素養は持っていたのです。

日本のコーチ、トレーナー、そして家族、様々な人々のサポートによって、現在のユヅルは存在している。私の役割は、彼が才能を開花させられる環境を整えたことに尽きます。

 

突然「会いたい」と連絡が

ユヅルからオファーが届いた日のことは、よく覚えています。'12年の世界選手権の後のことでした。

ユヅルから「会いたい」と連絡が来たときは、正直驚きましたね。

彼は当時、17歳という若さでしたが、すでにトップスケーターの一人でした。そして私は、現在もユヅルと共に指導しているハビエル・フェルナンデスというスペイン選手のコーチを務めていた。

トップスケーターが、オリンピックを2年後に控えた時期に、ライバルのコーチへオファーを出すということは、ほとんどありえません。対抗心によって自身の練習に集中できない、マンツーマンの場合のようなきめ細やかな指導が受けられない、と考えるものですからね。

そこで私は、本心を聞くため、すぐにカナダから日本へ発ち、ユヅルに会いました。内気な少年、というのが第一印象でしたね。

私は、「なぜオファーを出したんだい?」と聞いた。すると彼は、「僕はトロントへ行ってブライアンと練習したい」とひと言。拙い英語でしたが、それで十分でした。その言葉だけで、彼の情熱が伝わってきたんです。後に詳しく聞いたところ、彼は4回転が得意なハビエルを見て、私の指導に秘密があると考えたみたいですね。

その後、ユヅルが私のもとへやってきたのは、'12年の5月です。私たちはすぐに、トロントにあるホームリンクで、動きや滑りを試しました。とても刺激的な時間でした。