勝とうが負けようが何も変わらないーーかくあるべし 藤田寛之「男が惚れる」人生とゴルフ

週刊現代 プロフィール

藤田は高校1年でゴルフを始めた。それまでは野球をやっていたが、父親の影響でクラブを手にしたのだ。めきめきと頭角を現し、高校3年時には、日本ジュニアゴルフ選手権で4位に入賞(この時の優勝は丸山茂樹)。「もっと強くなりたくて」専修大学に進む。だが大学時代は同じ年齢で、天才の呼び声が高い丸山茂樹の陰に隠れて、目立たぬ存在だった。藤田は丸山の背中を見ながら黙々と練習するしかなかった。専修大2年後輩の横田真一が語る。

「練習量は伝説の域ですよ。尋常じゃなかった。藤田さんは大学の寮に住んでいたのですが、隣接するゴルフ場で毎日毎日、朝5時から打ち込んでいるんです。それも一人で黙々とね」

大学在学中の'92年、丸山と同期でプロ転向。しかしアマチュア時代37勝という華やかな経歴を持つ丸山と藤田の注目度は、比べるべくもない。加えて戦績もはかばかしくなかった。勝利はおろか、3年目の年間獲得賞金はわずか23万4000円。かたや丸山は、2年目の春にはツアー初優勝を遂げていた。

168㎝、70㎏と小柄な藤田には体力的なハンデもあった。ここで藤田は大きな決断をする。芹澤信雄プロへの「弟子入り」だ。自分と同様、決して体格的に恵まれないにもかかわらず、トッププロとして活躍していた芹澤に、藤田は憧れていたという。

「『練習ラウンドを一緒に回らせてほしい』と突然頼んできたんだ。まっすぐでさ、断れる感じじゃなかったね」(芹澤)

受け継がれるフェードの系譜

それ以来、芹澤を師と仰ぎ、今日に至るまで全幅の信頼を寄せている。「弟子入り」した藤田はこれまでのスタイルを捨て、まずは師匠を真似することに徹した。芹澤が振り返る。

「とにかく何でも真似してましたね。練習方法はもちろん、夕食のメニューも一緒。最初は、『いつも同じものを食べるな』と思っていたんですが、後から聞いてまさかそこまで、と呆れました。全部真似すればうまくなると思ったんじゃないですか(笑)」

今のままではプロでは通用しない—。藤田は師のすべてを吸収しようと必死だった。

「これだけの活躍をするようになった今でも、本人はそれなりに悩むことがある。そんなとき、『いつもよりバックスイングの入り方のタイミングが早いんじゃないか』など、ちょっとしたアドバイスをすることはあります。電話をしてきて、『練習はこのままでいいでしょうか』と聞くので、『その方法で間違いない』と一言、言うと安心するのか、練習に集中できるようです」(芹澤)

名実ともにトッププロという現在でも、師のアドバイスに耳を傾ける。

「その素直さこそが、彼が強くなった要因かもしれません」(芹澤)

また、師弟、という厳しい縦社会が藤田にはプラスに作用した。