[サッカー]
田崎健太「日本と世界をつなぐスポーツビジネスエージェント」

~中村武彦vol.1~
スポーツコミュニケーションズ

小学生の頃のあだ名は“ハイパー・ロス”

ニューヨークでの取材者の1人、元千葉ロッテ監督ボビー・バレンタイン

 中村は1976年に東京都町田市で生まれている。銀行員だった父親の転勤により、生後6ヶ月でニューヨークに移った。4歳で、ロサンゼルスへ、そして9歳10ヶ月の時に日本に帰国した。

 ロサンゼルスでは平日は現地の学校、土曜日だけ日本人学校に通っていたため、日本語に不自由はなかったが、細かなニュアンスを読み取ることが出来なかった。

 ある日、1人の友だちが中村の家へ遊びに行きたいと言い出したことがあった。その話を聞きつけた周りの友だちが次々と「オレも入れて」と言ってきた。中村は何に入れるのだろうと意味が分からなかったが、頷いた。母親には友だちが1人遊びに来ると伝えていた。すると、家には多くの同級生がやってきた。入れてというのは、仲間に入れて欲しいということだと中村はその時に気がついた。

 文化の違いについては、こんなエピソードもある。
「米国の学校ではランドセルがなかったので、日本に帰国してからも毎日リュックサックで通っていました。そうしたら『毎朝、遠足気分ですか』って、笑われた。それで急いでランドセルを買いに行ったんです」
 中村は当時のことを思いだして苦笑いした。

 どこか周囲とずれている中村につけられたあだ名は「ハイパー・ロス」だった。
中村が帰国した84年はロサンゼルスオリンピックが開催されており、「ハイパーオリンピック」というゲームが流行っていた。このゲーム名とロス帰りを合わせてつけられたのだ。

 そんな中村を一気に日本に溶け込ませたのは、サッカーだった。
 同級生から「米国にいたから読んだこと、ないでしょ?」と漫画『キャプテン翼』を全巻もらった。これがきっかけとなり、中村は米国でも少しプレーしていたサッカーを、地元のチームに入って本格的に始めることにしたのだ。それからは、徐々に友達も増えていった。