男の夢 坂本龍馬の「脱藩」を論じよう

NHK大河ドラマ『龍馬伝』に感化されたおじさん多数
週刊現代 プロフィール

「もちろん、龍馬本人は土佐に帰ることができなくなりましたが、それによって坂本家がなんらかの処罰を受けたという記録はありません。その理由は、龍馬が長男でなかったことが大きい。長男で家督を継ぐ当主であれば、大変な問題になります。
  龍馬が弟のようにかわいがり、のちに海援隊に入った池内蔵太(くらた)は、龍馬の1年後に脱藩しますが、長男だったため、残された家族は屋敷を追われ、家督断絶の処分を受けました」(河合氏)

 ただ、脱藩時点での龍馬の頭には海洋融資の構想こそあったが、亀山社中や、海援隊という具体的なものはまだなかったという。

 ちなみに脱藩のルートは、'88年、村上氏が調査し、発表したことで明らかになっている。

「しかし、道中の様子を記した記録はないんです。脱藩前夜に檮原(ゆすはら)(高知県)の郷士、那須俊平・信吾の家に泊まり、そこで女中相手に酒を飲んで歌ったという伝説が残っています。歌ったのは、よさこい節じゃないでしょうか。途中の番所には、坂本龍馬と名乗って通ったという伝書が残っている。
  長浜(愛媛県)に行った際には、冨屋金兵衛という商人を頼りました。龍馬より少し前に脱藩した吉村寅太郎が、『近く、友達が行きますのでよろしく』という手紙を残しているんです。これが発覚したら彼らもただでは済まないのに、このように命がけのシンパがいた。それだけ龍馬に魅力があったということです」(村上氏)

 作家の立石優氏も、龍馬の脱藩は用意周到なものだったと語る。

「土佐の脱藩者は、徳島の阿波から京都へ向かうルートを辿る人が多かった。しかし、龍馬は下関を目指します。山を越え、檮原へ行き、大洲を抜けて長浜の港に着く。そこから、4月1日に、下関の廻船問屋・白石正一郎方に到着する。白石は高杉晋作や久坂玄瑞を資金面でバックアップした人物です。
  つまり、龍馬は脱藩する時点で長州藩の情報を持っていた。目的地が下関であったことは、はっきりしています」

そして歴史が動いた

 そして脱藩の成功により、龍馬が、「日本一の先生」と慕った勝海舟と運命の出会いを果たすのだ。

「日本の独立を守るためには、海軍設立が必要だと考え、海運事業に先進的だった薩摩へ向かったが、当時はまだ脱藩者を受け入れていなかったため、入国を拒否されている。
  その後、江戸に向かいますが、脱藩直後は手紙すら書けない惨めな境遇だったと思います。ですから、勝海舟に会いに行ったのは、いわゆる就職活動。海軍を作るためには、勝に師事するしかないと思ったんです」(原口氏)